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「女性の方は土俵から下りてください」に思うこと

4月4日春巡業中の舞鶴市で起こった事件

「女性の方は土俵から下りてください」事の次第についてはテレビもネットニュースもあまり見ない私よりも皆さまのほうが詳しいと思いますのでたくさんの記事に譲りますが、違和感を感じたことを備忘録として。

それにしてもこの台詞、言ってみたい男性は多いんじゃないですか。

職場の会議で生意気(?)に正論で自分の意見を否定する優秀な女子社員に向けて(笑)
言えたら痛快でしょうねえ~~。

組織の正義を問題にしよう

主に、「人の命より伝統を優先したイケてない相撲協会」という雰囲気で話が進んでいるように感じますが、人の命と伝統は比べあうものではなく、どちらも尊いものです。
どちらも尊重され、保護されるべきものです。
人の命と伝統は潜在的に無限の価値を持つものですし、その価値の最大化が生きることではないかと考えます。

今回の事柄がきっかけに土俵に女性が上がるという禁制が解除されるとしたら、それは1つの進歩とも言えるでしょうが、それが「伝統の優先」をやめるという意味ではあまりにも情けないと感じます。

「伝統と呼んでいたもの」が単なる慣例に過ぎず、その慣例による思考停止で今回の騒動が起きたとしたら、そうはっきり宣言した上で、慣例による思考停止全般について再発を防止する姿勢が必要です。
簡単に変えるのなら、「伝統ではなかった」とはっきり提示してから修正してほしいです。
そもそも伝統というのは固定的なルールなどではなく目に見えない魂のようなものだと私は信じます。
やはり伝統は守るべきだし、時代や環境に応じて守り方を柔軟にする際には伝統に対して一定の敬意を払うべきでしょう。

そうではななく相撲という国技の厳正たるルールとして土俵上の女人禁制があるのなら、そう簡単に世論に叩かれたからってしっぽを巻いて変更するのはこれまた伝統に対して失礼というものでしょう。

力士修業心得そもそも神聖な土俵に神聖性を保つべく普段から修行している力士や行司しか上がれないというのは、そんなに不思議ではありません。

相撲は危険な競技で、取組中に命を落とすリスクも十分にあり得ます。良し悪しを論じるつもりはありませんが、ある伝統芸能演劇では、舞台で共演者が死亡しても芝居を続けろと教わると聞いたこともあります。たとえば私のような医師の仕事も手術中にチームの誰かが倒れたとして、そこで手術を中断したとしたら、それこそ手術中の患者さんの救命さえままならなくなります。取組中にけがをしない、相手にけがをさせないために、「精神力の偉大さを信じて」、厳正なルールと過酷な修行を積んでいる、土俵の神聖さや扱いを知り尽くしている力士は土俵に上がれるが、力士以外は行司しか土俵に上がることはできないというルールであれば、多くの人々にとって納得も行くし、すんなり受け入れられるのではないでしょうか。

新弟子検査を受ける条件として「男子であること」はルールとして知られています。力士であれば前提上女性であることはなく、女人禁制なのは女性差別ではなく、力士と非力士との区別だと考えられます。

こちらの記事は過去の土俵上女人禁制にまつわるトラブルや騒動をとりあげています。

こういうニュースをこれまで全く知らなかった私にとって、今回の報道を知ったときの驚きの第一は
「なぜ、『神聖な』土俵に市長が上がっているの?」ということでした。

舞鶴市のホームページを見てみても巡業の際に土俵上で挨拶をするので男性のみが市長になれるとは書いていないし、市長選の際、市民がそれを見越して投票したという事実も見当たりませんでした。

記事によると「わんぱく相撲」の優勝者であっても、内閣官房長官であっても、大阪府知事であっても、力士の母であっても、これまで土俵に上がることは許されなかったそうで、これを今回の問題でいとも簡単に変更するなら、それこそ相撲協会の正義が見えない事態になります。

むしろ問題なのは総理大臣や市長が男性だったときに、男性だという理由だけで簡単に土俵に上がれたことではないでしょうか。どうひいき目に見ても、男性政治家よりもわんぱく相撲優勝女子のほうが土俵の神聖性を理解していると相撲の神様もみとめるのではないでしょうか?

神聖な土俵の上では神聖な力士が神聖な行司の立ち会いの下、相撲だけを行なう

2016 神戸

これが非常にシンプルな解決策であって、救命的にはあまり望ましいことではないが、力士はそれを納得づくでしか土俵に上がらないという前提で、今後、仮に土俵上で力士か行司が心肺蘇生が必要な状況に陥っても、土俵上の残りの2人が力を合わせて土俵から当人を引きずり下ろして、土俵の外で全員参加で処置を行なうこととし、これまで行なわれてきた総理大臣や市長の挨拶などもすべて土俵の外で行ない、土俵の外のステージに上がれない属性はないとすればいいだろう。
わんぱく相撲に関しては男子であれ、まだ力士でないのだから国技館で決勝をするのをやめればいい。もっと魅力的な決勝の場を作ればいい。
力士にしか上がれない場所とは別に、わんぱく相撲でしか上がれない素敵な場所を作ればいい。
巡業中の土俵はそのたびごとに土を集めてきて作成し、その土は産業廃棄物になるのだという。

そもそも巡業は相撲道の普及、地域の活性化、青少年育成を目的として行なわれる(日本相撲協会ホームページより)という位置づけなのであれば、思い切って、土俵以外の場所でやってもいい。
土俵で相撲を取れるのは力士だけだが、力士は土俵の外で相撲を取ってはいけないわけではないだろう。
何かの報道で、小学校の校庭で相撲をしているのを見たことがある。
土俵以外では相撲が取れない前提で、巡業の目的を果たすのはむしろ難しい。
土俵上が力士にしか許されない場なのであれば、巡業という機会には土俵の外で、まさしく「相手の土俵で相撲を取る」ことを実践してくれればいい。
国技館の土俵を踏むことは力士でなければできないが、力士と生でふれあいたいというニーズに応えるためには、力士が土俵を降りなければならないしくみを作ることだろう。
 
今回、そもそも市長が土俵以外の場所で挨拶をして、そこで倒れたのならば、女性の行為が問題になることはなかったであろう。

女性=ナース=救命スキルの誤解

もう一点、気になることは、「女性が看護師だった」ということが無意識に強調されているように感じることだ。
「女性」と「看護師」を紐つけて考えること自体が性別に関するバイアスだということにそろそろ社会が気付くべきだし、「看護師」と「救命スキル」も紐つけるべきではない。
 
「倒れたときに隣に看護師さんがいるって超ラッキーじゃないですか」的な発言を若いアイドルがしていたが、今回適切な処置を行なった女性は「看護師だから」「救命スキル」を有していたわけではないし、世の中のすべての、たまたま「女性」で、たまたま「看護師」で、たまたま「救命スキル」がある人のうち、特に優れている点は「あの場で動けた」ということだと思う。
 
彼女は「当たり前のことをしただけなので、静かにしておいてほしい」と話しているらしいが、まさにその心境だろう。
 

AED一方、野田聖子女性活躍担当相は6日の記者会見で、女性が救命処置に当たっていたことに関し「医療従事者が救命活動をするのは至極当たり前だ」と指摘したそうだが、これは非常にとんちんかんで、当該女性に対しても、医療従事者一般に対しても、非医療従事者に対しても、全く失礼な発言だと感じる。

野田聖子さんを最近すごく買っているだけに、「医療従事者が救命活動をするのは至極当たり前だ」なんて発言は非常に残念です。
あきらかに看護師というファクターにバイアスされている。
彼女が看護師じゃなかったら会見の発言が変わるのか?
この発言にも正義のブレがある。
野田さん自身には正義があると期待するし、この発言も何か前後が切り取られていることを期待するけれど、救命活動は誰が行なってもいいんですよ。
 
組織に求められるのはブレない正義だ。本質を捉えた議論をしていきたい。
 

 

 

 

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