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健康経営

健康経営とポピュレーションアプローチ(2)

フレミンガム研究

フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年に脳卒中で亡くなったとき、その血圧が300/199mmHgだったのですが、その危険性(リスク)は当時、あまり把握されておらず、1948年にボストンの郊外にあるフラミンガムの人々をコホートとしたフラミンガム研究を待たなければならなかったこと、フラミンガム研究のような疫学研究を行なう研究者のパイオニアとして、麻酔科医としてもパイオニアであったジョン・スノーという医師が存在したこと、その姿はまるで健康経営を推進する経営者の鑑のようであったことを前回はお伝えしました。
 

フラミンガム

フレミンガムはボストン近郊のあまり豊かとも治安がいいとも言えない田舎町で、当時15,000人ほどの人口でした。この村ごとすっぽりコホートという研究対象にした観察研究がなかったら、たらればの議論は意味がないとはいえ、現在の医学会を取り巻く環境は一切違ったものになっていたでしょうね。
1948年に始まったフレミンガム研究は今年70年目を迎えます。
この70年間、世界でトピックになる話題のほとんどすべてへのきっかけを作ってきたとも言える地球の財産と言ってよいコホートです。
70年間観察されるうちにアルツハイマーなど認知症の研究など対象疾患も多様化し、特に資金繰りの問題でなんども観察中断の危機を乗り越えて、現在も第一線で医療へのヒントを与え続けています。
 
フレミンガム研究によって「高血圧は健康に悪いらしい」という仮説が現実にまで高められる過程で、1957年のサイアザイド系利尿薬を皮切りに、1964年にβ遮断薬、1971年にカルシウム拮抗薬、1975年にα遮断薬、1977年にアンジオテンシン変換酵素阻害薬、1991年にアンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬という血圧を下げる薬たちが誕生します。
血圧をコントロールする研究と並行して次々に新薬が開発、発表されていったのですね。

死因の推移のサムネイル画像

もう一度、死因のグラフを見てみると、1970年代を皮切りに脳血管疾患が減りはじめます。
降圧の効果が結果として表れてきたんですね。
1970年代後半に治療によって血圧をコントロールしていた人はそれでも患者全体の10%、その10年後には3倍の29%にまで増えました。
現在では60%近くがコントロールされていますが、なぜ100%にならないのでしょう。
 
この純粋な疑問は職場の健康経営にも非常にヒントになるところです。
 
ちなみに日本には1961年から1,621人20年間のコホートを対象にした久山町スタディがあり、同様に世界の、もちろん日本の降圧過程に貢献しています。
 
現在では非医療者でも知っていて当たり前の血圧と脳卒中の関係、証明されるまでは長い時間がかかるものの、ひとたび証明されれば血圧を下げる薬の開発が行なわれ、開発に成功して販売された科学的に効果の証明された降圧剤を飲めば、確実に脳卒中が予防できるというシンプルな話になり、そこにはもう実は医者なんて必要ないくらいの話です。
そもそも最初からこの血圧と脳卒中の関係、特に医者は必要ありません。
血圧が高ければ血圧を下げる薬を飲めばよく、それは自動販売機で買っても同じです。
少なくとも処方箋を書くなんて仕事は、高いお金と長い時間をかけて獲得する医師免許ホルダーの人件費の高い専門家がしなければいけない仕事だとは思えませんね。
 
血圧を下げる薬を飲みはじめるのを我慢している労働者によく出会います。往々にして、
「一度飲んでしまったら一生飲まなきゃいけないから」と言います。
こういう人にうまいこと飲ませるのは、少しは医者らしい仕事かもしれませんが、医者なんかに任せておくより、経営者がやっちゃったほうが手っ取り早いとは思います。
公衆衛生への寄与度でいえば、経営者諸氏のほうが医師免許持ってるだけの自動販売機よりもずっとずっと期待値が高いです。
 
薬を飲むのを我慢しても血圧が下がることはなく、むしろ我慢というストレスは血管を収縮し、血圧を上げるでしょうね。よって、脳卒中のリスクが下がることもありません。
もしあなたが研究者なら研究の結果を疑って反証することを考えるのもよいでしょうけれど、そうでない場合、ひとまず、賢く忍耐強い人々のお金と時間をかけた研究成果と、それに続く別の賢く忍耐強い人々の開発成果である薬を飲んで、自分の強みを活かす方法で社会に貢献する道を選びましょう。
 
むろん、ほぼすべての薬には副作用がありますが、主作用が重要です。降圧剤を飲んでも目標値まで血圧が下がらなければ、飲まずに放置している人とリスクは同等です。だからこそ副作用をミニマムにしてすぐに結果を出す戦略的な処方が必要でこれは医師にしかできませんが、おそらく現在高血圧治療をしているすべての人、するべきだけどしていないその3分の2くらいの人(前回コラム参照)にとって、ごくごくフツーのスタンダードな処方で効果は出ます。特にやっていない人は現状効果はゼロですから、スタンダードな治療をまず闇雲に開始することでなんの問題もありません。それで下がればラッキーです。
 
最高の治療がこの世にあるとしても、「やらないよりマシな、安くて早くてアクセスしやすい治療」で最高の治療と同等な得られる場合は非常に多いです。できるだけ副作用の少ない薬を飲みたい健康オタクな人々は、自分で病院に行けばいいのですが、そうでもないその他大勢の人たちには企業がましな治療へのアクセスを与えてあげるのもいい案です。
 

HSPH

この、企業が健康経営の一環として行なう予防・健康向上プログラムとしてのマシな医療の提供には、前述、ハーバード大学院教授のイチロー・カワチ先生が膝を打って大賛成してくれました。嬉しかったです。
 
高血圧の社員を無作為に2群にわけ、有無を言わさず治療をする群と何もしない群にわけた研究があります。
一年後、治療をした群には薬の副作用と思われる不定愁訴が圧倒的に増えるという結果以外に差はありませんでした。
この研究は降圧薬の内服に意味がないとか、降圧薬は飲まないほうがいいとかを示すものではありません。
研究の結果の扱い方を知らないとミスリードしてしまい、正しい設定の研究もリアルサイエンスからポピュラーサイエンスの誤謬に落とされてしまうことがあります。
高血圧の治療は心血管系疾患リスクをミニマムにすることが目的であり、不定愁訴を減らすことではありません。
イベントが起きなければ、薬を飲んでも飲まなくても、その日の血圧のケアは成功です。
そして、イベントはほとんど起きません。
喫煙したら翌日には死ぬというような毒なら、禁煙しないどころか喫煙する人はいません。
明らかに健康リスクとわかっていても、高血圧が脳卒中の起こりやすさを10倍にしたとしても、脳卒中という非日常を想像するのは難しいものです。
また高血圧治療がイベント予防である以上、こちらのコラムでも再三お伝えしているように予防効果の定量は不可能で、それが故に治療効果の定量も不可能なのです。
血圧をどれだけ下げたかという結果は出ますが、その血圧の降下がいつのどのイベントをどう修飾したのかについては神のみぞ知るところです。
 
ここで本日の最初のほうに出た疑問です。
血圧を下げたほうがいいとわかっていて、血圧を下げる薬があるのに、血圧を下げていない人がなぜ、これだけいるのか。
喫煙の問題も非常に似ていますよね。
 
日本だけで1,000万人以上の高血圧患者がいて、500万人近い患者が血圧をコントロールされていない事実、これに必要なのは、血圧を下げたほうがいいという知見でも、血圧を下げる薬の開発でもないことは明らかです。
そう、ただ薬を飲めば結果が出るのです。
また残念なことには、この500万人の中には、医者から出される薬を何年も飲んでいる患者も含まれています。
薬を飲む目的は気休めやコンプライアンスではなく、降圧によるイベントの予防です。
降圧できていない治療は治療とは言えません。しっかりと自分の治療に向き合い、結果を出しましょう。
 
フレミンガムには「The town that changed American heart」という看板が掛かっています(写真参照)が、アメリカだけでなく地球全体の医療に大きく寄与しています。
人々が健康を獲得するのは研究による知見と、そこで発見された課題を解決する、たとえば薬の開発が必要です。
しかしその後、それを人々が利用しなければ、人々の健康が変化することはありません。
 
知見が増えることで脳卒中を始めさまざまな病気の発症が減るのは確かです。つまり知見によって病気が予防できます。
脳卒中だけでなく、同様に突然仕事ができなくなり、莫大な医療費がかかることになる心筋梗塞など、多くの疾患リスクがさまざまな生活習慣の改善によって低減できます。
心筋梗塞の9割は予防可能なのにもかかわらず、現在日本の死因の第2位なのです。
 
近年、ヘルスリテラシーという言葉が一般的になりましたが、確かにリテラシーと健康には確実に関係があります。
健康診断や人間ドックも知ることの一つですから、悪いとは言いません。
ただし、どんなによい知識であっても、それが知識のままでとどまって行動に変換されることがなければ、知識を持っていなかったときより健康になれることはない、それが大切なところです。
 
ポピュレーションアプローチの説明から、遙か逸れているように思えるかもしれませんが、実はずっと同じポピュレーションアプローチの話をしています。
 
日本では収縮期血圧の値が140mmHgか拡張期血圧の値が90mmHg以上であれば高血圧と定義されます。
最近の知見ではこの定義を130と80に引き下げることが望ましいことがわかり、国際的な定義や米国をはじめとする多くの国における定義が変更され、おそらく日本でもまもなく変更されます。
こうして定義が変わることからも明らかなように、便宜上定義として数値を上げてはいるものの140や90という数値に明確な根拠があるわけではなく、定義というのは法律同様あくまでも仮想的なものです。
 
非医療者の皆さまはなんとなく医療を絶対的な学問だと夢想しがちですが、実は手探りの状態で、ほとんど仮想で組み立てられています。
たとえばフレミンガム研究が最初に明らかにしたのは、脳卒中を発症した人の発症前の拡張期血圧が発症した人数ときれいに正の相関をしていたこと、つまり、血圧が高ければ高いほど脳卒中が起こりやすいということです。
ここで注意してほしいのは、高血圧の人が脳卒中を起こすということが科学的に明らかになったのではなく、血圧が高いほど脳卒中を起こしやすいということが観察的に示唆されただけなのです。
そこで血圧を下げてみたら、実際に脳卒中の発症が減ったので、どうやらこれは本当らしい、意義のある治療だとなるわけです。
 
医学の教科書の文言は「~~が示唆されている」とか「~~と考えられている」とかいう語尾がほぼすべてで、絶対的に「1と1を足すと2になる」のような記述は見当たりません。ことほどさように曖昧な領域であることをまず、ご理解下さい。
 
ポピュレーションアプローチの対概念として、ハイリスク戦略がありますが、たとえば高血圧に140なり、130なりの「カットオフ値」を設けて、高血圧症という病名を冠した脳卒中のリスクが高い群と正常血圧という名前の比較的リスクの低い群に集団に二分し、リスクの高い群にだけ降圧薬を投与し血圧を下げるという作戦が、現在、日本で行われている医療そのものであり、戦後、一貫して公衆衛生上も同様の政策が行なわれてきました。
薬を出すのは医療ですが、健康保健組合が行なう生活習慣病健診と保健指導・受診勧奨、会社が行なう法定健診と事後措置・健康相談などはまさにハイリスク者を検出して介入を加えるというハイリスク戦略そのものです。
医療機関のお客さん作りみたいな位置づけです。
 
日本では病名がついてはじめて医療が行なわれるルールになっています。
いかに健康に関心があり、より健康な生活を送りたいと考えていても、今、Aさんの血圧が139/89mmHgだと、血圧が140/70mmHgのBさんが受けられる治療を保険診療では受けられません。
おかしいなと思った方は前段をよく読んでいる方で、そもそも脳卒中と血圧の関連は拡張期血圧データで得られた知見ですから、研究結果を反映するとAさんのほうがBさんよりハイリスクなんですね。
カットオフ値を設ける方法が必ずしも適切ではないことがこの例からもわかります。
血圧は拍動ごとに変わるもので、高血圧と正常の1mmHgの血圧の差が、高血圧によるさまざまなイベントリスクを大きく変えないことは誰でもわかるでしょう。
脳卒中のリスクと血圧に正の相関があるということは、今、血圧がいくつの人であっても血圧を下げれば脳卒中のリスクが減るということにほかなりません。
 
曝露とリスクの関係
 
絶対に適切なカットオフ値というのは存在しませんが、多くのリスク因子とイベントの関係は直線ではなく曲線の関係にあります(図)。
ある一定の値まではほとんどリスクがない、あるいはいくらリスクを下げても、消しても一定の割合でイベントが起こってしまうほぼフラットな状態から、それこそ5mmHgの血圧の上昇がイベントリスクを目に見えるほど上げるレベルまでさまざまです。
医者で薬をもらっているからと安心しても、イベントリスクが軽減できていない場合があると前述したのはそのためで、少しでもリスクが高まる状況にあるなら治療をしたほうがいいし、治療をしてもリスクを減らせていないのなら意味がありません。
 
予防のパラドクス
図を見ればわかるとおり、脳卒中を起こした人の血圧をプロットしていくと血圧が高いほど発症しやすいという関係が見えますが、実際に発症する人数を見てみると、発症する血圧のピークは高血圧の基準よりも低いことがわかります。
 
これこそが、皆さんはすでに忘れてしまったかもしれませんが、冒頭で紹介したジェフリー・ローズ先生が「予防医学のストラテジー」の中で唱えた、「予防医療のパラドクス(Preventive Paradox)」です。
 
予防医学と表現すると医療機関が行なうことのように感じられるかも知れませんが、予防医療と健康経営にはこれもまた冒頭でお示ししたとおり、差はありません。
 
そもそも企業の経営の一環として、従業員の健康を高める、つまり資本価値を高めるために従業員の健康を高めるという投資を行なう場合、従来通りのハイリスク戦略とポピュレーションアプローチのどちらが適切なのでしょうか。
 
従業員の健康は、そのパフォーマンスと相関し、企業風土に直結するからこそ、企業全体の生産性につながります。
個々の従業員の健康やパフォーマンスは平均化したり、一定の値に抑えたりしないで、無限に最大化したほうがよいものです。
たとえば従業員の健康やパフォーマンスに一定のカットオフ値を設け、健康やパフォーマンスが不十分な従業員にのみ、カットオフ値に届くような指導を行なうことが、企業の役割でしょうか。
 
会計的視点で見てみても、なにがしかの予算を投じて従業員の健康を向上する場合に、しっかりとしたセルフケアで健康とパフォーマンスを保ち会社に貢献してくれている社員にではなく、健康やパフォーマンスに問題のある社員に資本を投じるのは不適切と言えます。
たとえば高BMIの社員だけに万歩計を配るような予算を福利厚生費として計上している企業がありますが、福利厚生費の原則は全従業員に対して行なうことです。つまりそもそもハイリスク戦略で行なう企業の健康関連プログラムに福利厚生費を適用するのはあまり適切ではないということです。
 
だんだん難解になってきてしまいましたが、職域のヘルスプロモーションプログラムにとっては非常に大事なことです。
これが理解できている弊社のような専門家にBPOしてくださるのが一番、企業にとっては無駄のない選択肢ですが、内製しようと思う場合はここが理解できていなければムリです。
臨床医は症例と患者を個人レベルで診ることが仕事ですから、エコロジカルな視点で企業の健康と生産性に向き合える社会疫学的視点を持つ参謀と手を組んでください。
 
次回も実際の研究をご紹介しながら、ポピュレーションアプローチについて解説します。
 

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