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健康経営

ウォーレン・バフェット氏とノーベル生理学賞と健康経営

部屋とワイシャツと私的なタイトルに挑戦してみました。

そしてなぜか本日のコラムは改行がうまくいきませんが、ストレスがあるほうがパフォーマンスは高くなるので、ご容赦下さい。

ウォーレン・バフェット氏らが経済にとってマイナスと警告する、企業のある習慣とは?

この記事、ウォーレン・バフェット氏の指摘と、2年前にノーベル賞を受賞した大隅先生の話がつながりました。

ノーベル賞本庶先生の受賞を受けて、数年単位の目先の成果予測でしか研究費が獲得できないので、偶然から生まれて数十年後に社会に大きな成果をもたらしうる基礎研究が危機に瀕している、と大隅先生は危惧します。

 
本庶先生も「何ができるか」ではなく、「何が知りたいか」に忠実であることが重要と語られていました。
 
この「何ができるか」は社会のために自分に何ができるか、という意味ではなくて、今、手持ちのネタでどういうデザインを組めば論文になるかとか、研究費の申請に有利かとかの意味だと私は理解しました。実際、アカデミアの正義感は本庶先生や大隅先生、山中先生が憂えるほどに品性を欠いています。
 
先行知見さえすべて疑い、真実の先の真実を希求して未来の社会の役に経ちたいという本庶先生の想いこそ、まさしく健康経営、モラルと健康と生産性の三位一体のプロモーションです。
 
同時に「ライフサイエンス」を見直すことをも強調されており、私自身、「ライフサイエンス」に関する単位として1年とか数年とか数ヶ月という単位はあまり適切ではないと感じています。
 
基礎医学も臨床も経営もライフサイエンスの仲間だと私は思っています。
 
麻酔科医の場合は、数分とか5分とかせいぜい10分とかの時間軸で生きており、たとえば1時間半なんて無限に感じるんですけど、一方で数十年後のアウトカムを求めるのは同じ思考構造を維持したまま、すんなり受け入れられます。それはひょっとしたら、周術期管理からトレーニングをはじめる麻酔科医が、集中治療、救急医療、緩和医療、ペインクリニック、周産期、新生児、臓器移植、医療経済、産業保健、精神科などさまざまなサブスペシャルティ、あるいは両立する専門性を見つけていく傾向と関係があるのかもしれません。
 
だから健康経営のアウトカムもヘンに手先にとらわれないことをいつも主張しています。
 そのためにもいかにムダなことをやらないかが何よりも大事で、最もムダなことは、「知りたいこと」(企業の生産性と従業員の健康と職場のモラルを同時に相乗的に向上する、今ある手持ちの資源でできる、たくさんのこと)ではなく、「できること」(健康経営やってる風味なこと、助成金がもらえること、ポピュラーサイエンスベースのプロバイダーが提供するプログラムなど)を探すことです。笑っちゃうのは探すのにさんざんお金や時間を使ってやらないどころか見つけもしないことです(よくあります)。
 
探すのは皆さん、好きですね。測定するのが大スキです。バリウム飲んででも何か探したい。みつかるわけありません。
今ある手持ちの資源でできることが重要で、企業の豊富な資源の中に健康経営に使えるものがないわけないんです。「何をするべきかを検討」なんかしてないで、「したいこと」をすればいいんですよ。企業の中で、経営者のしたいこと、従業員の誰かがしたいことが、生産性やモラルや健康を向上しないなんて、ありえないじゃありませんか。

天国と地獄の長い箸私が一番好きな仏教の法話で、しょっちゅう引用するのでクライアントは耳にたこができていると思われる、「天国と地獄」の話があります。子どもの頃、「エースをねらえ!」で桂コーチに教わったのですが(「エースをねらえ!」には難しい日本語をたくさん教わりました)、天国と地獄には大きな円卓(中華料理店の回るテーブルを想像して下さい)に載ったすばらしいごちそうと、異常に長すぎる箸があります。地獄では箸が長すぎてうまく食べられなくて、みんな飢えて、イライラして、もう箸で殺し合い(死なないけど)の阿鼻叫喚です。ごちそうがあるのに全員栄養失調。低血糖だから機嫌も悪いし、意識も朦朧です。
天国にも同じセットがあるけど、口を開ければごちそうが入ってくるし、ともかく適当に向かいの人の口にも入れてあげてます。それもまたゲーミフィケーションで面白いってのもあるでしょうし、コミュニケーションもチームワークも生まれますよね。全員満腹だから機嫌もいい。たぶん肥満のリスクもない(死なないから)。唐突な法話の挿入ですが、これが「今、我が社にあるものでやる」健康経営なんです。
特別な箸がないからできないんじゃない、まだまだそのレベルに達してないからやらないっていうけど、このまま適切な長さの箸を探して喧嘩し続けて、いつかそのレベルに達するの? 箸でごはん食べるのにレベルも何もないでしょうっていう・・・・・・
 
四半期の業績見通しは基礎研究者にとって研究費を申請する書類のようなもので、申請書類の出来不出来と研究の社会貢献度にはきっと相関がないことでしょう。研究費を出す人は素人ですから、本当に世の中の役に立つかどうかなんてわかるはずもないし、そんなこと玄人だってわかるはずもないけど、いずれにせよ損失回避的に手近な金銭的回収が見込めることを評価軸にすることしかできないのでしょう。
地獄の人々が「なぜ我々は飢えているか」のレポートを書くようなものです。嫌な仕事ですよ。
四半期の業績見通しそのものはもちろん、それを作成する時間は、私程度の目からも滑稽なほどムダなことに思えます。組織にとって時間ほど大切な資源があるでしょうか。
 
職場のディストレスや不快感の多くは、まだ起こっていないことをネガティブに想定することと関連しているように感じます。つまり、不安です。
たとえば今の仕事がおもしろくないとします。やりたい仕事じゃない、私じゃなくてもできる、人間関係が気に入らない、給料が安い、自社ビルが古くてダサい・・・・・・とか面白くない理由はいろいろあるでしょう。仕事をやめるという選択肢が脳裏に浮かびます。でも辞めない。これが一番よくないんですね。辞めなかったときの嫌なこと、やりたい仕事じゃない、同期が出世する、今は自分はいじめられてなくていじめを見るのが嫌なだけなんだけど今度は自分がいじめられる、唯一のオアシスであるイケメン新入社員が異動になる・・・・・・と現実よりもここで働き続ける未来は確実に悪くなっています。とはいえ一方で浮かぶのは、再就職が全然決まらない、辞めた途端に理想の上司が異動してくる、せっかく仲良くなった先輩とはもう会えなくなる、お金もなくなる・・・・・・とまたしても辞めてもいないのに辞めたとき、しかも辞めた場合に必ず起こるわけでもなんでもないネガティブな未来の妄想が目白押し・・・・・・で、一言で言って、この従業員、普通の人の2倍のネガティブ妄想にとらわれててプレゼンティーイズムがひどいんですよ。
辞めるか、辞めないか、決めてしまうとプレゼンティーイズムはどちらにしても回復し、メンタルヘルスも改善します。いずれにしても辞めて(辞めないで)よかった~~~!ってなります。そう、辞めるのと辞めないのとどっちがいいかなんていくら考えたってわかんないし、決めたらそれを楽しむしかないんです!
 

warren buffet

リスクに備えるのは大切だけれど、転ぶのに備えて用意した杖を、転ばなけりゃ無駄になると不安になり、転んだら嫌だからと外にも出ず、ただ握りしめて悶々としていないで、転ばない対策もしながら、杖の全く新しい別の使い方でも考えている方が、おもしろいじゃないですか。私は「2階から目薬」をなんとか点眼した上で、「この瞬間から『2階から目薬』は『やればできる!』という意味に変わりました!!!」って4コママンガが大好きなんですが、ありもしない予想伝票なんか集計しているヒマにもっと素っ頓狂な姿勢で働けば、「転ばぬ先の杖」を「コロンブスのタマゴ」みたいな意味に変える奇跡が起こせるかもしれない、と思うと、ワクワクしませんか? それが健康経営だと私は思うのです(^_-)

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