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FEARLESS GIRL

ジェンダーとコミュニケーション会議

CANNES LIONS 2017 において、グラスライオン他計4部門グランプリを獲得した「Fearless Girl」の企画に携わったMcCann New York のDevika Bulchandani(デヴィカ・ブルチャンダーニ)社長の講演を聴きました。

Devika Bulchandani

McCann New York President
Devika Bulchandani
デヴィカ・ブルチャンダーニ 
 
1997年にマッキャン入社。
2017年よりマッキャン・ニューヨークのプレジデント就任。
カンヌライオンズ2017にてGlass Lion含む4部門でグランプリを獲得した「Fearless Girl」を指揮。
夫と息子、娘と共にニューヨーク市に在住。教育方針は、息子は強い女性の味方となる賢明な人に、娘は様々な障壁を打ち破る強い女性に、100%インド人、100%アメリカ人、そして100%グローバルで心の広い人間に育てること。
 
もうすぐ50歳とお話しされていたので、同年代。子どもたちの写真も見せてくれましたが美男美女。
聞き取れないインド英語ではなく、ゆっくりわかりやすく美しく話してくれました。すごく魅力的な女性です。

ジェンダーコンテクスト

昨日のソーシャルブレインズでも触れましたが、デヴィカさんも冒頭で「コンテクスト」という言葉を使いました。
講演ではまず、女性のほうが経営に向いているということを示す、枚挙にいとまがない例を矢継ぎ早に示します。
 
女性のほうが金儲けがうまいのサムネイル画像
たとえば女性CEOの企業やボードメンバーに女性が含まれる企業のほうが業績がいいという証拠を明確な数値でバンバン示してくれます。
 
会場内に、
「この中に、女性でフォーチュン500の経営者になりたい人っている?」
と問いかけて、手をあげた女性に、
「じゃ、今すぐ名前をジョンに変えたほうがいいわ」
って。
なんと、500社中、女性CEOの数より、ジョンという名前のCEOの数やデーブという名前のCEOの数のほうが圧倒的に多いんですって。。。
 
ただし、女性管理職がいる企業が「儲かる」からといって、それは、男性が使い物にならなくて女性が男性より優れている、というワケではけっしてありません。
 
female boards
 
そもそもほんの少し前には、統計学的な制約によって、女性管理職が含まれる企業のほうが男性管理職だけの企業よりも業績がよいというデータすら出せず、そういう企業は症例報告的な伝説でしかありませんでした。
いま、まだまだ数は少ないとはいえ、比較できるだけの企業数がカウントされてきたからこそ得られるデータで、これはあくまで女性と男性の比較ではなく、多様性を経営に取り入れるレベルの比較なのです。
つまり、多様性のあるコンテクストが経営に望ましいということです。
 
女性管理職
ジェンダーを話題にするとき、差異があるのは大前提です。こういう話で、「ジェンダーの定義は何なの?」みたいなことを言う人が必ず言うけど、定義にだって差異があっていい、と私は思います。
たとえば、「あなたの性別は?」の答えが、「どっちか」であったとしても、全員が「どっちか」にあてはまるのではなく、「どっちでもない」人がいたっていいし、きっといます。
「性別がある」ということだって疑っていいし、「性別は8個ある」という人がいたってよくて、性別の定義や、その定義上のジェンダーアイデンティティーが何であろうと、特に経営判断には関係ないんです。
 
昨日紹介したソーシャルブレインズ入門で藤井先生が、真空を仮定するような非現実的な科学的仮定の下で、これまで研究されてきた脳科学ではなく、内外の脳同士のつながりこそが、脳(の機能)そのものではないかと指摘していますが、私もそう思います。
となるとそれぞれの脳を使って行なう経営判断において、多様な脳同士が作用し合うことが優れているに決まっていて、デヴィカさんも話していたようにジェンダーだけでなく人種や年齢やみーんな違えば違うほど会社の実力は高まるということになります。
個々の能力は、それがいくら氷山の一片しか顕在化していないとはいっても有限です。しかし、関係性の組み合わせは無限です。
 
味噌やスパイスをいろいろと混ぜたほうが味噌汁やカレーに味わいや深み、複雑味が出るように、人間も混ぜたほうがおいしいんです。全員おっさんで、全員ジョンとデーブの会社なんて、絶対まずいですよ。
そのブレンドの効果について、疫学的にはまだまだ「混ぜたほうがいい」ことがわかってきたばかりですが、これからさまざまコンテクストに応じたベストブレンドについて議論されることがあるのかもしれません。
インド生まれのデヴィカさんは、女の子は木登り禁止!的な男尊女卑社会で育ったそうですが、立ちションに挑戦して夢破れるなど、好奇心溢れる愉快で積極的な少女だったようで、Fearless Girlと重なりますね。彫像のメイキングビデオなども観ることができて、貴重な機会でした。
 
また、メディアや広告が担うべき社会への啓発という役割についても、正義を持って提言してくださり、たいへん心強かったです。
 
気がついて、おもしろかったのは、同時通訳のイヤホンのことを「翻訳機」と表現してあったこと。この器械は絶対に翻訳はしないんだけれど、その正確さを追求して音声再生器とかラジオとか表現すると、誰もどれのことだかわかりません。同時通訳がきこえる器械のことを翻訳機と表現するのはたいへんリーズナブルで、「伝える」というテーマの会場にふさわしい表現だと感じました。
 
デヴィカさんの基調講演のあと、3つのセッションが続くことになっていて、特に最後の「変える」セッションに登壇されるカルビーの松本さんを楽しみにしていましたが、セッション1がはじまった途端、主人やジェンダーという表現は使わないという一種言葉狩り的な話題だったので、席を立ってしまいました。
言葉狩りをしているうちは格差は解消しないというのが持論です。前述の性別の定義と同じですね。
こういう表現はふさわしくないという議論の裏には、唯一の正解としての何かへの期待が隠れていて、結果、正解以外のものを排除しようとする差別につながるのではないでしょうか。
 
一方で、こういう映画はまさにジェンダーだけでなく、さまざまな格差解消に優れた効果を発揮するだろうと期待するのが、「パッドマン」。ちょうどデヴィカさんのご出身のインドで、生理用ナプキンの普及のために立ち上がった男性の物語です。
 
 

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