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わしの眼は十年先が見える

初めての岡山ステイ

ボストンからHSPH(ハーバード公衆衛生大学院)のイチロー・カワチ(Ichiro Kawachi)教授が来日され、通称高尾メソッドの生みの親、高尾総司先生を擁する岡山大学で「社会と健康」の講義をされるのに合わせて、通過したことはあるけれど宿泊するのは初めての岡山県を訪れました。

エコロジカル健康経営

それはそれは超セレブの先生方にご案内いただいたおかげで、昼も夜も信じられないほどの素晴らしい瀬戸内の美味しいものを堪能しました。
出発前に、一回り以上若い広島出身の友人に強く勧められたので、せっかくだから岡山大学でのハーバードの人気講義をさぼって、倉敷にも足を運びました。
大原孫三郎氏も学生としては褒められたものではなかったようで、しかも東京に遊学して、現在の十億円を優に超すような借金をしたというのだから、文字通り大物です。

大原家については、磯野家(サザエさん)や野比家(ドラえもん)程度には知っていたのですが(つまりはほとんど知りませんでしたが)、ふと訪れた倉敷の居心地の好さとシンクロニシティーに帰りの飛行機でなにか資料に目を通したいと思い、ミュージアムショップの書籍コーナーを物色して、城山三郎氏の「わしの眼は十年先が見えるーーー大原孫三郎の生涯」を選びました。他にもたくさんの書籍がありましたが、好きな作家の手になるものがあって嬉しかったです。

小学生の頃、実家で読んだ「粗にして野だが卑ではない」と「落日燃ゆ」で大ファンになった城山先生も、1994年に著したあとがきに「いつでも行けるという思いから、訪ねたのは近年のことである」と語られているのと同様に、私にとってもなぜか近くて遠い倉敷と大原美術館でしたが、城山先生と恐れ多くも同様に、「そのすばらしさに圧倒され、なぜもっと早く訪ねなかったのか、と悔やまれた」のでした。

10人のうちの数人が価値を感じるときが、決断のベストタイミング

そろそろ時間的には人生の半ばにさしかかりましたが、たいへんありがたいな~と思うのは、前述の「倉敷に行くべし」のように示唆的な助言をくれる年若い友人に恵まれていることです。ちょうど岡山に行く前に別の若い友人が共有してくれたのが、大原孫三郎氏のこちらの名言で、自分の頭の中を手づかみでぶちまけられたような衝撃を受けました。

このように私も日々、友に支えられているのですが、孫三郎氏にとっても「友」は一生の大事であったようです。
当時、「LIFE SHIFT」はまだ出版されていませんでしたが、孫三郎氏が生産性資産ではなく活力資産や変身資産といった無形の資産に価値を置いていたことが、あらゆるエピソードからわかります。

大原孫三郎

「十人の人間の中(うち)、五人が賛成するようなことは、たいてい手おくれだ。七、八人がいいと言ったら、もうやめた方がいい。二、三人ぐらいがいいという間に、仕事はやるべきものだ」

本を読んでみると、この言葉は孫三郎氏が晩年、後継者であるご子息大原聰一郞氏に繰り返したものであったようです。

まさにその通りで全員がやるべきなんていうことはほとんど法律になってしかるべき、あるいはおそらく法律になっている道徳中の道徳、常識中の常識のようなことであり、そこにはイノベーションのかけらもありません。

今なら10人のうち5人が賛成するような業務はたいていAIに任せたほうがいいようなものばかりでしょう。

創造の創は、私にとっては「キズ」として馴染み深いように、つくりのりっとうが示すごとく、「壊す」という意味を持ちます。新しいものが「生まれる」背景には、何らかの切り口で見れば、必ず古きものが「滅びる」という側面があります。社会のために想いを力に変換して発揮するためには、ときに十人中数人の同意しか得られないことはあるでしょう。
しかし、それが本質であれば、残り七人に後悔させることはありません。
最近の経営者は、従業員に寄り添いたいあまりに総意を評価し、細かく同意を取ろうとしたがる傾向がありますが、経営者の役割としては、現在真価が伝わらなくても確実に従業員の生活の質を上げ、生きがいを与える施策ならば、反対があっても断行することが求められています。
経営者がパターナリズムを発揮することは必ずしもパワハラになるとは限りません。従業員に阿って機嫌を取って本質を外れて甘やかすだけでは、企業の生産性もリーダーとしての信頼も得られなくなるでしょう。従業員は愛翫するためのペットではありません。ともに力を合わせて社会の役に立つためのチームメイトです。
目的が明確で、目的に向かう本質的な仕事で、それが革新的なものならなおさら、はじめから全員がやったほうがいいなんて思うはずがありません。

これまで世の中に存在しなかったサービスを提案する弊社は、大手企業との実績もなく、類似サービスもありません。サービスの存在を誰も知らないので、提案の時点では1人どころか社内では誰一人やろうとしていない内容です。対面した数人には熱意と必要性が伝わって盛り上がっても、慣例的な7~8人の壁に毎回ぶち当たって砕けるをくりかえしてきました。

しかし腐らず、うざがられても呆れられても馬鹿にされても、本質的なことを言い続けようという気持ちを新たにしてくれたこの言葉を、その言葉が実際に発せられたであろう大原家本宅や倉敷の街の中で反芻できたのは、この上ない幸運でした。

労働科学研究・社会問題研究、そして町ぐるみの社会的処方を含む近代総合病院の父

労働科学研究所は日本の産業保健研究の中心で、所属する先生方にはたいへんお世話になっております。

労働科学研究所

あらためてホームページをみてみると、ちゃんと、「公益財団法人大原記念労働科学研究所」とあるのですが、人間の知覚というのは都合よく修飾されるもので、下線部分をこれまでの私の脳は省略可能と判断していたのか、全く記憶がありません。

なんとなんと名言にぽーっとしているだけではとても足りない、私にとっては現在の仕事の礎を築いてくださった大恩人だったのです!!

名言

現在、労働科学研究所には大尊敬する小木和孝先生が所属されていますが、小木先生は日本人ではじめてILOの幹部に昇りつめ、ハザード回避の間違い探しではなく、強みを活かすグッドプラクティスを日本に広げてくださる偉大な研究者です。私がこの分野で本質的なことを声が枯れるまで主張し続けようと誓ったのは、小木先生の影響も大きいです。

そしてこの労働科学研究所は、同じく孫三郎氏がつくった社会問題研究所(現在は法政大学内にあります)のうち、労働の医学的・心理学的研究を専門に行なわせるためにその部門を独立させたものです。

倉敷が戦争で爆撃を受けなかった理由には諸説ありますが、明治40年、倉敷に一個連帯が配置されることになった際、「町の風紀を乱すおそれがある」と孫三郎氏が激しく反対した結果、軍事基地を持たなかったからというのはそのひとつです。

それこそ当時の世論を鑑みれば、10人中数人どころか浮きまくり四面楚歌、非国民と揶揄されながらのたった一人の主張だったと思うのですが、若い女工さんたちを大勢預かる責任感がそう言わしめたのでしょう。当時は労災という言葉すら一般的ではありませんでしたが、孫三郎氏は工場内の職場環境だけでなく、寮や町並みなどの生活環境まで含めた積極的な改善を行なっています。

東京大学の稲水先生は第26回産業ストレス学会で、多様な働き方については、ダイバーシティ研究とライフバランス研究の両面から研究蓄積がなされてきて、前者は組織メンバーのデモグラフィック特性やタスク特性の多様性に焦点を当てており、後者は仕事と仕事以外の生活の両立に焦点を当ててきたが、全体としては前者の確保に変遷してきていると考察しました。産業保健介入として必要な職場内外の支援を、100年以上前にそれをまさに経営者主導で両輪で行なっていたのですから、頭が下がります。

ただやるだけでなく研究所をつくり、エビデンスつくりまで行なっていたのです。初代所長の暉峻先生は、なんと同一賃金の理想まで持っていたそうですが、所長と小使が同じ賃金という提案は、当の小使さんはじめ所長以外の所員からのクレームで実現はしなかったようです。それでも粉塵と騒音の飛び交う工場敷地内に研究所を建て、まず工場疲労問題研究からはじめました。

従業員の生きがい形成が経営者のつとめ

東洋最大の美術館、そしていくつもの研究所の他に、孫三郎氏が残したものが倉敷中央病院です。
先日、その倉敷中央病院が出した病状説明時間に関するお知らせが医療従事者や医療系メディアの間ではちょっとした話題になりました。批判的な意見もありましたが、ホームページ全体を見るだけでも利用者の快適さに配慮する素晴らしいホスピタリティが溢れる医療機関であることはわかります。孫三郎氏の人となりを知って、このお知らせに対峙すると、倉敷中央病院が孫三郎氏の精神を尊重し継承しているのだな~と感じ入りました。

児島虎次郎

労働衛生に関する経営者としての孫三郎氏の信念はまさに現代の健康経営実践者そのもので、従業員の、生きがい形成をそのつとめとしていました。

「皆さまもこの世に生まれた以上は、生きがいのある立派な人間にならなければいけません」という人道的な語りかけを、まだ少女の女工さんたち全員に自ら行なっていたそうです。ときは明治45年、今風の言葉で表現するならSociety1.0からSociety2.0への移行期で、工場労働者は80万人以上にのぼり、人権を無視した過酷な奴隷労働ではあったものの、その低賃金でも農業を続けるよりはマシな生活が送れるのが職業選択の理由であったといいます。その背景の中で語られる経営者本人の熱い言葉に、少女たちは圧倒的にロイヤルティをかたくしていったのではないでしょうか。

孫三郎氏の眼は10年先はおろか、100年以上先まで見えていたとしか思えません。

常に正義を愛し、きっと精神的には孤独と闘いながら、文化的な事業への投資を惜しまず、日本の労働衛生の基礎を創った孫三郎氏に、おこがましいけれどたくさんのシンクロニシティーを感じました。100年前にこれだけのことが実現可能だったのだから、今を生きる私たちのほうがずっとずっと有利なはずです。孫三郎氏の精神を受け継ぎ、多くの生きがい形成に協力していきたいと決意を新たにしました。

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