ダマシダマシ生きる
ホンマでっか!?TV
第26回日本産業ストレス学会の特別講演に、スタート以来大スキなテレビ番組、「ホンマでっか!?TV」でおなじみの池田清彦先生が登場すると知り、いそいそと最前列に座ってしまいました(#^_^#)
まずはAI時代の働き方への提言からはじまりました。一定のルールの下で一定のアウトカムを出すような業務においては、当然、人間はAIにかないません。特に画像診断や税務処理などの間違っちゃいけないけど超複雑だからこそ、よほど賢い人が資格を取って行なっているような業務に関しては、「間違わない」AIに勝る人間はいません。
将棋にしても囲碁にしても一定のルールに沿って勝敗が決まるのなら、あらゆる棋譜を公平に暗記できれば負けません。負けないというより間違えないのです。私たちの記憶はAIのように公平ではなくて、たとえば交通事故に遭った瞬間などをスローモーションのように記憶しているとか、緊張のあまり面接中の記憶がほとんどないとか、そんなことは大いにあり得ます。試合中にこの局面が大事かどうかは主観によるので、大事なところを覚えているつもりでも、それが本当に大事なことかどうかわかったころには時すでに遅しです。
「すでにアメリカでは長距離トラックドライバーはAIしかいない」と池田先生はおっしゃっていましたが、特に高速道路では、ほぼ100%、自動運転に切り替えるということでしょう。道交法というルールを間違えないのは、AIの得意中の得意です。
一方で先の読めない、ルールのない試合ではAIは戦力になりません。突然理解不能な動きをする幼い子どもと対面で向き合って情緒を育てるなんてことはできないのです。生身の人間同士のローカルなやりとりはAIに取って代わられないので、その種の仕事はAI奪われず存続すると指摘します。
これからAIと共存していくためには、けっしてAIに代替されない過去の集積からは予測不可能なパフォーマンスを発揮するか、むしろAIを使いこなすアイデアにおける新奇性を目指すかの二択か両方になってくるでしょう。
たとえばロボット工学の石黒教授は自分で開発したイシグロイドに講義をさせているそうですが、学生に言わせると「生身の教授の授業よりわかりやすい」んだそうです。
池田先生は笑いながら、「そりゃそうだよね、余計なこと言わないんだから」と。もしも講義のパフォーマンスがシラバスとの同一性により評価されるのなら、オヤジギャグで脱線する池田先生の講義よりもアンドロイドがよいことにはなりますが、予定調和の外にある天才的脱線こそが、一流の講義の醍醐味とも言えます。勝つ喜びや負ける悔しさの表出などのムダを排除した、ミニマムで正確な動きしかしないアンドロイド同士のスポーツ対決をみてもおもしろくも何ともありません。もしAIがやるとしても、脱線するようなアンドロイドだったらエンタメになるかもしれません。しかし上手に脱線させるプログラムは難しそうですね。
AIが発達するに従い、低賃金の単純労働はどんどんAIにやらせるほうが効率的になり、AIのリソースマネジメントをする仕事に従事する高額所得者と、仕事を奪われた失業者との収入差がどんどん開きます。先月、連載中のばんぶうで収入格差について書きましたが、収入格差の大きい集団は健康にも影響が出ますので、社会全体が元気であるためには収入格差の是正が重要です。また、そのような一部のハイパフォーマー、高額所得者を自分の組織につなぎ止めておく工夫も必要です。差が開けば開くほど人材の流出リスクは増え、その他大勢の低所得者が路頭に迷うことになります。差があっても、その差が格差ではなく多様性ならいいのです。きみ稼ぐ人、ぼく遊ぶ人として互いに生きがいを持って満足していればいいのです。
池田先生はベーシックインカムの導入で、ベーシックインカムをしっかり消費行動している人にこそ与え続けるようなしくみで市場を活性化して、国全体の生産性を上げていく作戦を提案されました。
とんちんかんな科学研究費投資
少数の大金持ちのお金を配分してもらったら、はじめてゆっくりのびのび研究もできます。研究にはもっと予算を投じるべきで、憲法改正なんていう儲からないことはしなければいいというご意見も愉快でした。
確かに国という大きな組織を儲からせるのは、国民にとってもよいことですから、儲かるかどうかの視点でやるのはまさに健康経営です。そういう意味では教育や研究への投資はベストバイです。
本庶先生のノーベル賞が決まった際、こんなコラムを書きました。
ウォーレン・バフェット氏とノーベル生理学賞と健康経営
ノーベル賞級の発見なんて、ほとんどが偶然や失敗がきっかけのひらめきから生まれるもので、運の産物です。
イノベーティブな発見につながる研究を行ないそうな人に適切な研究費を与えるという仕事は天下のAIにも難しいものですから、つまらない研究をさえする能力すらない官公庁の偉いおじさんたちにそんな評価ができるわけがありません。
そもそも研究費を出すか出さないか研究計画で判断するなんておかしな話です。そういうおじさんとかじーさんとかの仕事こそ、ムダ中のムダ、彼らの人件費を全部研究費にして、あらゆる研究に投資すればいいんです。
アホみたいな話ですが、世の中には「金のもらえる研究申請書講座」みたいなものが存在しますし、10年連続年間1千万以上の研究費を獲得しました!みたいなことを自慢している研究者もいます。最低すぎて言葉もありません。池田先生の話では大学は科研費を取った職員から何割かピンハネするそうです。だから取れ取れって言うんですね。ちなみに私はなんちゃってですが研究者でもあるので、民間の熱心な社長さんたちから、ビジネスで得たデータを社会に役立つ科学的な研究に用いて下さい、と頼んでないのに託されてしまうことがよくあります。そんなデータを用いた研究計画をアカデミアで発表した際に、下世話なデータイーター、研究費イーターの高名な研究者に、「そのデータ、いくらだったの?」と尋ねられたことがあります。
「タダでもらいましたけど、絶対、先生にはくれないと思いますよ」と言ってやりましたが、むしろ昨日のコラムに書いた大原孫三郎のように自分自身は学校教育をまともに終えていないとしてもAIを使う側、収入格差の上の方にある人が、その強運や勘を活かして、ぱーんとアカデミックリサーチャーに投資するようなしくみが日本でもあったらいいのに、と切に感じます。
たとえばビルゲイツ氏はそういった活動も熱心に行なっていて、私程度の元にも助成金に関する知らせが届いたことがあります。
池田先生は講演の中で、孫さんや柳井さんの資産は1日1億円使っても300年かかると言及されましたが、そんなことなら影響力の高い先生がそういうスキームを作って下さいませんかと訴えたところ、「めんどくさいからやらない」と断られました(笑)
働く従業員と働かない従業員は本当にリバーシブルなのか
さて、童話や町で見かけるアリさんは常に熱心に働きづめですが、巣の中にはずっとたくさんの待機中なり非番なりの働きアリがいて、ある瞬間には約5〜7割の働きアリが労働をしていず、長期間観察しても、2〜3割の働きアリはほとんど労働をしないことがわかっています。昆虫の中でもアリの多くの種は社会性昆虫と分類され、この研究は人間社会構築にも役立つと考えられています。
人間社会でまことしやかにいわれている「二八の法則」とか「パレートの法則」とかいうものは、会社の中で働いているのは2割の人だけであり、その2割の人だけにしても、やはりその中の2割の人しか働かない、というものですが、それは働きアリにも当てはまると言えるのでしょうか。
ちょうど12月2日(日)の新聞でとりあげていたような災害時の労働衛生の難しさや、私の師であるStephanos N. Kales先生が専門とする消防士の労働衛生、救急医療に従事する医療者たちなどの仕事にとっては特に必要なのですが構築の困難な機構です。
アミメアリは馴染みの行列をつくって機能的に分業して熱心に働きます。単為生殖ですから減数分裂、2Nを用いて損傷部分を修復しながら忠実に優秀な兼業主婦をクローニングしていきます。それでもときどき転写ミスがおこり、単独Nのオスが発生します。
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