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あなたの仕事は「誰を」幸せにするか?

あなたの仕事は「誰を」幸せにするか? ーー 社会をよくする唯一の方法は「ビジネス」である

2011年に起業した際、社会における医療の位置づけで最も異様に感じたのは、医療への聖域視でした。

そのころ、「ソーシャルビジネス」という表現があることにも驚きました。

世の中のビジネスはすべからくソーシャルビジネスだし、医療こそソーシャルビジネスの最たるものだという考えは、10年あまり臨床医として手術室で働いてきた社会人として、非常に自然なものだったからです。

ラブレボリューションのサムネイル画像

「医者がビジネスなんてsign02

当時、北原先生と同じように、いや、北原先生と同じように今もなお、
 医者のくせに!? 
 金目当て?! 
 そんなに儲けているのに?! 
 医者なら人のために働いて当然でしょ?? 
  的な批判を受け、まるで聖職者が姦淫したみたいなありさまでした。

2001年の月9ドラマ「ラブ・レボリューション」で、デート中の心臓外科医(江角マキコ)にイケメンテレビマン(藤木直人)が、女医のライバルの女の子が具合が悪いか、足をくじいたかなんかの際に、
「医者なんだからなんとかしろよ!当たり前だろ!」っぽい言葉を投げつけるシーンがあったんですが、実際にそんな目に遭ったことは、たくさんあります。
「それでも医者か」と恋人にデート中に言われるのってかなり理不尽です。
患者や上司、同僚などに仕事中に言われるならまだしも。

今、ローラさんの発言に対して、「芸能人のくせに」的な批判があるようですが、「〇〇のくせに」という科学的根拠も妥当性もない枕詞をつけてマウンティングする慣例重視型思考停止viewが医療界や医者にはよく向けられます。

先日は厚労省の疾病と就業の両立支援の研究班の班会議で取材に来ていたメディアの方から、「医者のくせに」とキレられました。

医療を受ける側もしっかりと制度を理解し情報を賢く取捨選択する必要があり、メディアは情報発信に責任を持って対処すべきと発言したところ、「私たちは何もわからなくて当然。医者のくせに何を言ってるんだ」と。

わからなくて当然と開き直るメディアが根拠のない医療情報を発信するのは許されて、患者やメディアの側も努力をするべきと発言することすら非道徳とされるのが、この国の医療へのナゾの聖域感です。

家族の誕生日だろうと葬式だろうと医療者は医療を行なうのが当たり前、と世間は言いますし、実際、目の前に医療で救える相手がいれば誕生日も葬式もすっとばして夢中で働きます。でもそれは聖人だからではない、人間だからです。
北原先生の言葉は本当にスカッとします。聖人に逢ったことがないし、どんな顔してて、何をするのか知らないけど、少なくとも人間だったら、自我を捨てて、目の前の人や社会のためにできる限り懸命に働こうとするでしょう。

医療は聖職者による「施し」ではありません。

そもそも人々は施されたいでしょうか。施されて幸せになる人がいるでしょうか。

施す側は、一定の満足感が得られるかもしれません。つまり、マウンティングですよね。マウンティングされて嬉しい人がいますか。

魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えよ 授人以魚 不如授人以漁

この本にもたくさん出てくる、大好きな言葉です。老子より先に同じ内容を、テレビからなぎら健壱さんが、貧乏時代に仲間に臨時収入が入って、何を買うか話し合いを行なった末、「食べられる草」という本を買ったというエピソードで教えてくれました。

グラミン銀行のスタイルが優れているのも、貧困層にお金をあげるのではなく、ビジネスアイデアという材料代のかからないものを担保にして貸すという発想を与えた点だと思います。
頭を使う、思考する、考える・・・・・・そして行動する、それによってお金を稼ぐことができる、それはある人にとっては当たり前のことかもしれないけれど、日々の暮らしに汲々としている貧しい女性たちにしてみれば驚くべきことだったのです。
お金を与えるのではなく、お金の稼ぎ方を教えたんですよね。

グラミン銀行のユヌス氏も「学者のくせに」とマウントされたそうですが、
「ボクはね、銀行員じゃないからステキな銀行が作れたんだ。キミは医者でビジネスマンじゃないなら、きっとステキなビジネスができる」と励ましてくださいました。

実際に北原先生より優れたビジネスマンを見たことがありません。

医療こそビジネスそのもの

「社会を変えるのは私たち一人ひとりの市民であり、社会を変えていく手段のことを、『ビジネス』と呼ぶ」

「すべての仕事は “医療” である」

「医療とは、人間にとっていちばん大切なテーマ、

 『いかによく生き、いかによく死ぬか』を支援するアプローチのすべてを指す」

「『いかによく生き、いかによく死ぬか』を支援する医療こそが、ほんとうの経世済民であり、経済である」

北原先生のお話も、『病院がトヨタを超える日』もそうですが、余分な言葉がほとんどなくって、要約することができません。
一語一句全部意味があるので、多くの人にこの本を読んでいただくことを強く強くお勧めします。
しょっちゅうご講演もなさっているので、ぜひ聴いてみることも強く強くお勧めします。
 
あなたの仕事は誰を幸せにするか序文の書き出しはヌーの川渡りからはじまります。
川を渡ると溺れたり、ワニに食べられたりするリスクがあります。
橋の上からヌーを眺める北原先生は驚愕します。
「俺は橋からこんな近くで見ているぞ!」と。
そう、ヌーは橋を渡れます。
北原先生にしてみれば、確実で安全な方法があるのに、みすみす仲間の一部を殺す不確実な手段を選択するヌーの群れが信じられないのです。
橋を渡りなよ、と教えてあげたいけど言葉が通じません。
北原先生の孤独が胸に突き刺さって涙が出ます。
ヌーの群れの目を開くように、思考停止した医療への視点の曇りをはらって、社会をよくする宝の山である、よく生きるための医療を見つめ直すこと、実践すること、それこそがビジネスです。
北原先生はずいぶん前から一貫してそう主張されていて、2011年にはじめてその主張に触れたときには、こんなことを当たり前に唱えている人がいる、私は無知だったな~と思ったものですが、不思議なことにみんなが真似するわけではありません。
 
自分は医療者なのだという意識を持つのと、自分がビジネスマンだという意識を持つのと、自分が社会の一員であるという意識を持つのと、誰かの役に立ちたい気持ち、そして役に立てたときの幸せな気持ち、それらはみんな一緒です。
 
企業に許された素晴らしい強みは従業員に仕事という役割を与えられることです。仕事があるからセルフケアを行ない、他者を支援し、支援され、感謝され、感謝し、社会の役に立つ実感を得て、生きがいを感じます。
健康診断をしても健康にはなりませんが、仕事をすれば健康になります。
まさに「善意では社会は1ミリも動かない」のです。
 

病院じゃなきゃ、医者じゃなきゃ、できないこと

とにかく1つもいらないところがないので、一言一句書き写すしかないのですが、なくなくピックアップします。
普段から、私は、病院じゃなきゃできないこと、医者じゃなきゃできないこと、って実はとても少ない一方で、病院じゃないからできること、医者じゃないからできることは、無限にあるとわめいています。
すべてのビジネスは医療なので、病院じゃないからできる医療、医者でじゃないからできる医療と言い換えてもいいですね。
どうして医者である北原先生や私がそんな主張をするのかという答えの1つは、それぞれが最初に修行して専門性をおさめた診療科にあるかもしれません。

病院とは手術室とICUである

全身麻酔をかけて頭の腫瘍を取るなんて医療には、どうしても医者と病院が必要です。
それどころか脳内の手術には、術中に一度、必要なだけ覚醒させて機能評価を行なう場合もあります。
さすがにこういうことはいくら在宅医療が進んでも個人宅では行えません。

そういう意味で、手術室とICUには専門性の高い熟練の医療従事者と設備が必要で、こればかりは病院と医者の組み合わせが避けられない。それでも専門性の高い医師(人間)に依存してしまうのはたいへんなので、Tele-ICUはひとつの解決手段たりえると期待しています。

手術や麻酔は技術の差が歴然としています。うまい手術とそうでない手術、何をするかという術式よりも誰がするかという術者の属人的な条件のほうが、麻酔の計画や実際にも影響します。当然、スキルの高い外科医とスキルの高い麻酔科医が行なう手術は美しくて充実していて楽しいものです。
(またこれも手術が楽しいと書くと「不謹慎だ」などと言われてしまいそうですね。医療者はワークエンゲージメントもジョブクラフティングも許されないのです)
見た目や時間、手術による侵襲そのものの差はあまりにも大きい一方で、手術後の予後については、実は術者や麻酔科医のテクニックはさほど影響しません。人生全体に対して、手術という一イベント、よい手術だったかそうでもない手術だったかは、結婚生活がよい披露宴だったかそうでもない披露宴だったかに影響される程度しか、影響されないのではないでしょうか。
もちろん、よい手術であるほうがよいに決まっているので、手術をする側はともかくスキルを伸ばします。常にベストな手術をします。

ひとつの手術が社会全体のたくさんの人生において与える影響について考えたとき、このスキルをもっともっと大きな世界で役立たせられないかと誰でも考えるのではないでしょうか。臨床医が公衆衛生に転向した理由をよく表わす説明として、川の下流で溺者を次々に蘇生させながら、なぜ溺れるのか、なぜ川に落ちるのかに思いが至り、上流で原因を突き止めようとしたから、という上流理論があります。下流で行なっていた仕事が脳外科医や麻酔科医のような広い社会のほんの一部でしかない手術室で一イベントに必死になるような診療科であればあるほど、そのような想いに至りやすいのではないか、と勝手に北原先生に馴れ馴れしく親近感を深めてしまいました。

しかしほとんどの人生は病院の外で起こっていて、肉体・心理・社会の健康を高める処方もほとんど病院の外にあります。
病院に頼らず自然治癒力を高めるためには日常の心理的なディストレスからの解放が望ましく、万病に効く処方はそのような免疫機能の向上しかないのだから、社会全体が医療を行ない、社会全体で健康になればよいはずです。

治療よりも大切な「診断」

私の口癖がところどころにたくさん書いてあって、本当に読んでいてシンクロニシティにうっとりするばかりですが、北原先生が指摘されるとおり、診断が決まった時点でやるべき医療の8割は決まっています。

診断が正しいのに治療がうまくいかないという状況は多くありません。正しい診断が下されればやるべきこと、その診断に効果があると証明されている治療を選択すればいいだけだからです。とはいえ、診断はそう易しくはありません。

医者は人間ですから、特別なものが見えたり、聞こえたりするわけではありません。だからこそ当然、初診で正しい診断に至らないこともあります。むろん、早く正しい診断をしたいのは医者も同じです。だからこそ試行錯誤をして、検査結果や治療への反応を見て真の診断を探すのです。

本文中にもあるように、教科書に書いてある「頭をハンマーで殴られたような痛みを伴う」くも膜下出血の症状を、私もほとんどみたことがありません。そもそも頭をハンマーで殴られるほうがくも膜下出血になる以上に特殊な状況なのに、ふざけているとしか思えませんが、本当に教科書にはそう書いてあるんです。人間ですから同じ病気でも症状も表現も多様です。教科書に書いてある初発症状を訴えてくれる患者は皆無です。教科書に書いてある典型的な症状は日常診療では全然典型的ではありません。

それでも教科書の典型例を次々に浮かべながら、起こりやすい疾患や急を要する疾患に優先順位をつけて、知識と経験はもちろん用いるけれども、いくらかは運と勘で診断を予想します。名医は運がいいんです。それでもどんな名医も診断を一時的に誤ることはあり得ます。

という話にたいして、前述の記者は、「私たちに『死ね』って言ってるのか?」と、またキレてましたね。
どうしてそういう発想になるんでしょうか。
そういえば、先日の北原先生の講演でも、北原先生がよく生きるための営み、すべてが医療という前提で、医療という言葉を用い、社会をよくする営みとしてビジネスという言葉を用いているのに、「北原トータルライフサポート倶楽部は自費診療の扱いになるのか?」という超絶明後日の質問をしている新聞記者がいました。
「日本の診療報酬制度上の医療じゃないから自費も保険も関係ない」という明確な回答を、言うのもばかばかしいだろうけど北原先生がちゃんとしてくれているのに、「つまり自費ってことですか?」なんて言ってて、びっくりしました。
メディアの人もふざけているのでしょうか。

 

よく生きたいとか、よりよい社会にしたいとか、医療に興味があるとか、ビジネスに関心があるとか、人間だとか、これらにひとつでも当てはまるものがあれば、ぜひこの本を読んでもらいたいです。

きっと大きく勇気づけられ、ワクワクして、いてもたってもいられなくなるはずです。

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