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「組織開発の探求」出版記念セミナー

昨年の4月29日に引き続き、今年10月31日に中原淳先生と中村和彦先生の組織開発のセミナーに参加しました。

「組織開発の探求」は、お正月にゆっくり読むとして、まずはセミナーの覚書から。

組織開発と健康経営はダブるところが多いというか、同じと言ってもいいんじゃないかな~と私は思っています。

健康経営

むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
ゆかいなことをいっそうゆかいに
 
井上ひさし先生の言葉を中原先生は引用して、横文字や難解な専門用語を廃して組織開発を語ることの大切さを説きます。
これも健康経営や医療にとってもたいへんたいせつなことです。
難しい言葉を用いるのはじつは簡単で、やさしい言葉で難しい内容を語れるようになってはじめて、一人前、専門家と言えるのではないでしょうか。
思えば、確かに麻酔や医療、健康経営に関することなら、言葉に詰まるということはありません。
何か質問をされて、答えられないことはないので、質問をした人に寄り添って、真の質問なり課題なりを探せるように思います。
誰にとってもひどく身近なことなのに、用語が難しくてたいそうな感じがして近寄りがたいという点も組織開発と健康経営、そして医療に共通することかもしれません。

組織開発の構造

今回、1年半前より腹に落ちた部分は、医療と公衆衛生の関係と人材育成と組織開発の関係の共通点と相違点と、その発生理由です。
私は医療と公衆衛生が得意なので、そのように読み解いて理解しているだけで、中原先生や中村先生が、医療になぞらえて説明するわけではありません。
なぞらえてはいないのですが、組織開発の歴史の部分では精神科医が出てきたり、診断という言葉が出てきたり、医療用語的な言葉も出てきます。
話をわかりやすくしようとして例示的に医療用語を用いることは世間では一般的なのですが、医療が専門だとわかっているからこそ混乱して、わかりやすくならないという弊害が出る場合があります。
同じようにサッカーや野球などのスポーツにたとえたり、自動車の構造に喩えたりする説明は、今度は無知故にわからないことがあります。やさしく言うときに喩えるという手段を誰もがよく使いますが、喩えてくれた瞬間、わからなくなる場合も多いです。

エコロジカル今回はあえて自分にわかりやすい、なじみ深い医療の言葉に変換しながら聴いてみたところ、意外にも1年半前にわかりにくかったところのわかりにくさに医療が関連していることに気付きました。

理系と文系という分類はヘンテコだな~と思いますし、あまり好きではないのですが、医療の文系的理解みたいな点に鍵があったのです。
そもそも科学というのは真空を仮定するような非現実的な状況で成立するもので、人間とその関係を扱う社会系の学問というのは決して科学たりえないとも思います。
理系というのが科学的な考察による学問という意味なのであれば、人間を扱う医療や、人間とその関係を扱う公衆衛生なんてものは絶対に理系たりえないのですが、医学というのはどちらかという理系の扱いになっているように思います。
医学部には数学や物理学が得意な学生がたくさんいます。しかし、医療にはほとんど数学や物理学を使いません。
そう言うと、非医療者に驚かれることもありますから、皆さまの中にも医学部は理系だから医者は診断や治療の過程で数学や物理学や化学を使うだろう、と思っているかもしれませんが、もし、なにか使うスキルがあるとしたらむしろ、コミュ力に関する国語とか英語とか地理とか歴史とか政治とか経済とか法律とか制度とか、およそ文系的な考察しか使わないのです。
このことは実際に診療している医者も気付いていないのではないでしょうか?
もし、数学や物理学が得意だから医学部にいこうと思う人がいたら、やめたほうがいいかもしれません。
人を笑わせるのが好きとか、手先がとびきり器用とか、いつでもどこでも眠れるとか、そういう人こそ医学部をお勧めします。
 
話が逸れているようでもありますが、(逸れていますが、)セミナーを聴いて気付いたのは、そうはいっても医療関係者たちはなんとなく理系っぽくふるまうところがあって、理系としての整合性に拘るところがあり、いつのまにか私自身もそのような視点を持っていたようだということです。

人や組織をどのように動かし成果を出すのか?

このとき、人と組織を並列に並べるのは、私にとって大きな違和感です。
組織をよくするためには従業員も組織もよくなる必要があるよね、というしごくシンプルなことなのですが、表のように組織に介入するとしても組織単位への介入と個人単位への介入を分けて考えるのが疫学の世界では一般的です。
細胞が集まって臓器になり、臓器が集まって人体になり、人体が集まって組織になるわけで、それぞれの単位で機能があり多様性があります。もちろん人体が健康になるためには臓器単位で健康になったり、組織単位で健康になったりすることが役に立つのですが、細胞と臓器を健康にするための手段が全然異なるので、あまり「細胞や臓器をどのように動かし成果を出すのか?」とは考えません。
最初は表の左上、個人レベルの人材育成を右下のエコロジカルレベルで捉えるものが組織開発であり、だからこそ健康経営と同じだといえるのではないかと認識していたのですが、やはり組織開発を扱っている人々が当然のことですが疫学者ではなく、人事や経営のプロフェッショナルである以上、学問とかデータとかエビデンスとかいう言葉の持つ意味が、組織開発領域のコンテクストでは疫学領域とは異なってくるのだということにきづくと、不明確だった部分がすんなり理解できました。

組織をWORKさせるための意図的働きかけ

とはいえ、この定義を見るとやはり、かなり医療に近いものだと思います。
ちなみにこのコラムでは組織を組織開発の組織、Organization という意味で用いています。上段ではわかりやすく、細胞<臓器と大胆にまとめちゃいましたが、医療の世界では 細胞<組織<器官 と表現するのが一般的で、組織はtissueで臓器がorganなので、社会に出てからプチ混乱したというのは余談です。さっきから余談ばかりですが。
 
組織開発は経験と環境に挟まれているといいますが、これもまた産業保健が環境学でもあることと合致しています。
おそらく発生時は別々の概念であった組織開発と産業保健が、健康経営という名前で同一になる時代が今なのではないかと考えます。
理系の頭ではコンテクストを廃して真空を仮定して公式を定義し、文系の頭では理系頭が悲鳴を上げるようなコンテクストのたっぷりかかった理論を展開します。
しかし生きている私たちはコンテクストという環境から逃れることはできないし、ブラックジャックのドクター・キリコのように人の体の中に手を入れてなにかすることもできない以上、人に対しても組織に対してもいじるのはコンテクストしかないということに理系の人々が気付きはじめたのが今、この時代なのかもしれません。
個人がメタに上がり、経験学習として自分の経験を見つめるとき、見ているのは確実に経験した自分ではなく経験をとりまくコンテクストであり、そう考えると経験と環境の間というのが非常にわかりやすくなります。自分を見ようとするとメタに上がって自分を外側から見るしかないのですが、外側から見たときには見えているのは外側です。なんにせよ内側というか本人というか核となるものはなかなかむき出しではなく、それを取り囲むコンテクストがそれをそこにある、そんなかたちだと信じさせているだけなのかもしれません。
 
フッサールは科学的=客観性=パノラマの高所からの科学は「クソ」と言ったそうですが(多分言ってない・・・)、フッサールが大切にする、経験的・主観的な「今ここの現象」と客観性って実は相反するものではないのかもしれません。
 
知性の風船という概念があって、知識を風船の中身と喩えると知識が増えて風船内部の体積が大きくなると、当然風船が外界と接する表面積も増えます。内部はすでに得た知識で外部はまだ知らないことなので、知れば知るほど知らないことが増えていくという計算になります。この理解の仕方も理系的だと揶揄されるかもしれませんが、こういうわかりやすさは理系的考察の数少ない強みです。

組織開発とは「集団が、自分たちの抱える集団病理を見える化し、対話を行なう、集団精神治療」である

私が見つけた誤訳がここで、集団精神治療というのは集団精神分析のことを意図しているようなのですが、精神分析はあくまでプロセスであって治療ではありません。ただ、精神分析のことはおいといて、組織開発とは集団精神療法、すなわち集団認知行動療法であるということなら、それはそれでそのとおりだと思うので、ぐるっと回ってうまくいったな、と。
たいへん多くの受講者の中に医者は多くなかったと思うので違和感を感じた人は少なかったかもしれませんが、病理を治療するというのも医療者は言いません。病理というのは病気が発生する原因というわけで、確かに病因学が医学と同義だった戦前までの時代ならまだしも医療というのは病理を治療するものではなく、どちらかというと異常を正常に近づけるものです。一元的な病因の場合は病因を叩く、すなわち特定の感染源を断つというような治療がありますが、じつは現代は病気もコンテクストの中にプカプカと浮かんでいるので、一撃必殺的な治療はありません。治療に必殺ってつけると叱られそうですが、抗生剤も抗がん剤も基本的には、殺してます。

組織開発も健康経営も宗教的になったり警察的になったりしてはいけない

これは中原先生の言葉ではなく、私のセミナーを受けた経営者が感想として言ってくれたことですが、それに尽きるのかな、と思いました。でも、実際に組織開発も健康経営も宗教的になったり、警察的になったりしがちなものである、ということが一番大切なことでもあります。
組織開発や健康経営は意識が高い特別な人のものではなくて、空気とか水とかみたいにみんなに必要で、関係があって、誰と誰との隙間にもあるもので、それが組織開発や健康経営であることは知らないうちに、社会をよくしよう、よく生きてよく死のう、と思って生きていたら、勝手にやっちゃっているもの、であるべきものだな~としみじみ思いました。
ちょうど1つ前のコラムで、病院で医者がやらなきゃいけない医療はあまりないと書いたように組織開発も特別な専門家が必ずしも必要ではない一方で、ほんの一部分、手術室とかICUとかに当たるような部分では、いわゆる玄人さんの出番があるものなのでしょう。
 
 

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