ホーム>心陽コラム>健康ニュース・最新研究>書籍 演劇 セミナー>健康経営と「社会疫学」第1章
書籍 演劇 セミナー

健康経営と「社会疫学」第1章

本日から、多彩な友人たちの集まる「社会疫学」輪読会に参加している。

あまり輪読会の経験がなく、自分が一度読んだ本を他人の解釈で説明されるのがこんなにおもしろいとは想わなかった。
書物にはいろいろと無限の楽しみ方があると実感した。

せっかくなので、この場を利用して毎回、覚書をまとめたい。

日本語版に寄せて

Social Epidemiology英語の原本には、共著者の1人であるイチロー先生のサインがある。

「ヨーコさんへ あなたに逢えて好かったheart01 イチロー」(イシダ迷訳)

そのあとは行列に並ぶチャンスがなく、というか文脈的に許されなくて、日本語版にはサインがない。
はじめてお目にかかった際にはたしか、「命の格差は止められるか」にもう少し、かたい感じのメッセージをもらったのだが、その本は誰かが持っていってしまって手元になくなってしまった。
まあ、配るために何冊も置いてあるし、本の中身もイチロー先生との関係も残っているのでよしとしよう。

この「命の格差は止められるか」でも主張してくれているように、訳書の冒頭でも、こう記している。

日本という国は社会疫学を研究するためのテーマには事欠かない。
社会格差は拡大し、終身雇用制度の崩壊ととおに非正規雇用は急速に増加している、高齢社会の進展は世界の最先端を突っ走り、東日本大震災後にはコミュにて日のレジリエンスの重要性を世界に知らしめた。

そして、最初に呼んだときには気付かなかった発見がもう一つ、「カイゼン」というカタカナ表記だ。
「KAIZEN」は英語として産業保健領域では定着しており、たとえば Google Scalar で「KAIZEN」を検索すると、35,300件がヒットする。日本が世界に与えた産業保健用語は「KAROSHI」だけではない。
経産省の健康経営優良法人認定事業において学術考証を担当している森晃爾先生は、Health and Productivity というACOEM(米国産業衛生学会)の部会名を健康経営の訳語として充てているが、いつか「KENKO KEIBI」が世界用語になったら嬉しい。

まえがき

1)個人のリスク要因は疾病の発症に比較的わずかな影響しか及ぼさない(たとえばCVDならせいぜい40%)

2)個人のリスクを下げるための取り組みは大して成功していない

3)個人のリスクをそれぞれ全員で下げたとしても、そのリスクが発生する社会的決定要因に介入しない限り、永遠にモグラ叩きゲームが続く。

だからこそ、社会疫学は必要だ。

第1章 社会疫学の歴史的枠組み ーー健康の社会的決定要因ーー

社会疫学は、社会構造、社会制度、人間関係が健康に影響を及ぼすしくみを追求し、集団における健康の全体像だけでなく、集団の健康の分布にも関心を持ちながら健康の社会的決定要因を研究し、究極的には集団の健康を改善することを目指す疫学の一分野である。

この章には社会という集団の例(評価の適切なレベル)として「近隣、市町村、県、国など」と具体的に記載されているが、集団とは、このような地域の単位だけではない。私自身は産業保健における社会疫学的アプローチ、組織開発における社会・生命的システム思考 social ecological system orientation こそが、そのまま健康経営だと考えている。

健康経営でも社会疫学でもストレスと健康の関係については、話題の中心でもあるが、なんとなくわかったような気になりつつもよくわからない部分でもあろう。

まずは(1)社会的な経験がどのように生理的ストレスに影響を与えるかに関する理解の統合 が必要なのだが、多くの人、特に非医療者にとってストレスとは、精神、心理、メンタルヘルス的な体験と考えられてしまう点が誤解の元であるようだ。
生理的ストレスと言った場合は、自律神経の交感神経優位の状態であり、カラダは外部からの刺激にそなえて臨戦態勢を取る。これはカラダを痛めつけるためのものではなくて、外部からの強い刺激に負けないためのしくみではあるが、この臨戦態勢がいつまでも続くと、ショートしてしまうことになる。
大切なのは交感神経優位の状態を避けることではなく、しっかりと副交感神経優位の時間を取って自律神経バランスを保つことである。生理的ストレスが過剰になって生体として機能不全になっていくと、臨戦態勢を取らなければいけないときに取れなくなる結果、倒れてしまうということになる。
ストレス反応は過剰に遷延させてはいけないが、発揮できることが重要である。

本文中にあるように外的ストレッサーと疾病の進行や予後に影響を与える生理学的反応を結びつける強固な生物学的モデルの提示は、ストレス状況が身体に直接影響することを明らかにしてきた。
社会環境的な曝露が生理的ストレスに影響を与え、ストレスホルモンや炎症マーカーに影響を与えることを示した研究をこの次のコラムで共有する。
特にこの生理的ストレス反応について、生物学的妥当性に関する明確な理解を要求されることだけが、社会疫学を食わず嫌いにさせてしまっている理由のようにも思える。

(2)Rosega提唱したパラダイムから発展した、集団の健康分布に関する詳細な理解 に関しては過去のブログ(1)~(3)を参照してほしい。

そして(3)社会政策及び経済政策による健康影響の評価 こそが、企業の内製すべき健康経営そのものともいえる。

Ecological Fallacy をミニマムにするために、マルチレベル分析によるコンテクスチュアルな視点を駆使するべし、というのが著者の意思ではあるものの、やや乱暴な処方箋かもしれないが、今いま、すぐに取りかかる健康経営はエコロジカルでいい、というのが私の持論である。

健康経営と社会疫学が唯一最大に異なる点は、それが経営か、学問かということである。
学問は、論語でも算盤でもなく、杓子定規に正しくなくてはいけないが、経営はまさに論語と算盤の文脈に生きる有機物であり、多少の誤謬を孕んで細かいレベルでの逆走はあるとしても、えいやっと会社ぐるみで持続的に健康方向に向いていけば、それでいい。

 

 

 

 

 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.shinyo.pro/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/311

ページ上部へ