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残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?

残業学

奇しくも昨年最後と今年最初を中原淳先生に飾っていただくことになりました。

本の内容は希望の残業学のページを読めばだいたい載っているっちゃあ載っているのですが、まとめの意味で購入しました。WEBページのほうが図表がカラーで美しいなどの長所もありますので、いいとこ取りして下さい。
素晴らしいデータの集積と研究成果で、大いに参考になりますので、ぜひ皆さまには実際にご購入の上、存分に自社の残業施策に役立てていただきたいものです。間違いだらけの健康経営の現状がわかり思わず膝を打つ描写ばかりです。内容はほぼ肯定していますが、あえて批判的な口調で本文の内容を最小限にした、顰蹙を買って喧嘩を売るような感想文にします。

残業の分析

本書の中で用いられているデータやエビデンスという用語に関しては、前回のコラムで述べたような理系文系問題的な要素がやはりまだあるので、そこは注意して下さい。統計学のテクニックを駆使したとありますが、単なる集計に近い図表が多く、相関と因果の混同が見られ、統計学的有意についての記載が少ないのはもったいなくて、これを疫学のわかる統計家にマルチレベルで解析してもらったらどんなにおもしろい景色が見えるだろうと悔やまれます。これからでも嫁入り先を探してはいかがでしょうか。
ただし、「長時間労働は構造的に生まれているもの.p8」という前提には大賛成です。だからこそ、欠陥部品の修理や交換のような局所解の集積ではなく、組織単位での構造改革が重要です。残業を小文字のxという個人レベルではなく大文字のXという組織レベルで把握し、解決のためには組織レベルの構造改革を行ない、その介入のアウトカムの測定もはContextualな個人レベルとEcologicalな組織レベルで行なうのがこれからの働き方改革、健康経営、組織開発・・・名前はなんでもいいけれど、生産性の向上に繋がると考えます。

この辺はかなり本質的で、残業学というキャッチーな名前はたいへんすばらしいですね。
残業学を組織開発的ガチ対話の第一歩や健康経営的文脈的介入のきっかけにしてほしいです。

産業抑制施策ははじまったその日から「形骸化」との闘い.p29

この指摘はすべての施策に対して真ですね。生物は生まれたときからいつか死ぬことが決まっていますが、どんなに生命観溢れる躍動的で柔軟な施策であってもいずれは形骸化するし、現実には多くの施策は死産で、亡骸なのでなんの息吹も持っていません。むしろ、形骸化する余地が残っている施策はかなりまともなものでしょう。

「働く人」=「長時間労働が可能な人」でいいのか.p30

働きたい人は働ける社会

残業ってどうしてダメなの?の答えの一つとして、雇用慣行が、共働き夫婦、外国人、高齢者などの「長時間労働ができない人」の労働参加を大きく「阻害」していること.p32が上がっています。そのため、「働く人」=「長時間労働が可能な人」.p30になってしまっているけれど、それでいいのか?という議題が提示されています。
誰でも働ける世界はステキな理想で大賛成だけれど、「長時間労働をしている人」が絶対悪みたいになってしまうのは、あまり賛成していません。
長時間労働が多い部門の従業員を責めるような雰囲気さえ醸し出してしまっている企業も存在し、実際に当該部署の従業員たちは肩身の狭い想いをしています。
あくまで長時間労働は構造的な問題であり、実際に長時間労働をしている人の主体性には関係がありません。
また、心身社会的に健康で長時間労働が可能で、かつ明確な目的の下に長時間労働を希求する人に対して、働く場を社会に創造することは必要です。※会社ではなく、社会です。
毎日働きたいけど、毎日長時間「は」働きたくない人とか、何日かぶっ続けに一日量を長めに働いてまとめて休みたい人とか、働くと時間の関係には、好みとかライフスタイルとか必要な収入とかさまざまな理由で多様な希望があると思います。企業単位では従業員の労働時間制限をコンプライアンスという側面でしっかりと守っていかなければなりませんが、企業に与えられたその企業の業務をこなす時間以外の時間を、学びに充てても、家事に充てても、趣味に充ててもよいのと同様に、別の仕事に充ててもいいと想います。そもそも学びと家事と趣味と本業と副業に明確なボーダーなんてないような気がします。
これが前段の最後の本質とつながりますし、本書のまとめにくるLIFEの定義にもつながります。

残業はデータで語るべき.p34

そのとおりですが、構造的に生まれているもの.p8ならば構造のデータが必要です。私は構造というより文脈という表現がより妥当と考えます。この構造はコンクリートの柱や床のような無機物が創る硬くて安定したものではなく、人という循環し続ける有機的構成物からなる柔軟で不安定な気体のような存在だからです。そしてこの実態のない文脈について何かを測定するのはきわめて困難です。
たとえば組織の平均残業時間や残業率で残業が組織に与えているストレスの量やその原因、そして対策を知るのは明らかな矛盾があります。

データを通して個人の「行動レベル」で課題を把握して、彼らに「再学習」を行なってもらい、行動を変化させていく.p50場合は、結局、組織の中で個人レベルの観察を行ない、対象者をピックアップして、個人レベルの介入を行なうという従来のハイリスクアプローチです。
通常のハイリスクアプローチ同様、誤った行動、残業のもととなる行動、理想的ではない行動、採用・人材・イノベーション・コンプライアンスリスクの高い行動などなどそういうピックアップするべき行動について、まず定義していかなければなりません。ハイリスクアプローチの効率の悪さは、この「リスクの定義→測定→分析」にあると考えます。「再学習」がどのようなものなのかは、勉強不足でよくわかりませんが、それが問題行動をする労働者にとって有用ならば、全員に(大文字のXで)「再学習」を浴びせてしまえばよいと考えます。もし問題行動をとらない従業員にとっては無効どころか有害なものであれば、その施策はベストでない気がします。

死の谷

仮に正しい行動が単純に定義できるのなら、その行動をさせている、もしくは問題行動が起こりづらい「環境の共通点」を見つけることで、因果はすっとばしてまずその環境を与えてみる、その上で行動変容があれば他の組織にも採用する、さらにレベルを上げていく、そして継続する。この継続を勇気づけてくれるのが.p246の「死の谷の発見」です。図表が多い本書ですが、私はこれが一番好きです。
もし試験的な環境改善で行動変容がなければ改革ゾンビを増やさないためにプロジェクトを明確に中止し、別の環境の共通点を実践してみます。
もし悪い行動変容が起これば最初にピックアップした組織からも、その環境を有するすべての組織からもその環境要因を排除(アンラーニング.p204・アンインストール.p314)するというように実践的にやっていくことが好さそうです。たとえば、喫煙者の禁煙や睡眠向上、組織内格差の是正や昇給などは誰にとってもよい改善と言えます。
残業に限定すれば.p247に出てくる残業代の還元です。

たとえばインフルエンザワクチンをなんとしてでも受けないと言い張る5%未満の問題行動個人を再教育するのはたいへんですが、どっちでもいいと考えている80%の従業員に受けさせるのはさほど難しくありません。介入があってもなくても必ず受ける10%も存在しますので、最大勢力であるどっちでもいい層の半分を受けさせれば集団免疫が獲得できます。最後まで頑として受けない問題社員も医学的な制限で受けられない(多くの場合罹患したら命に関わる)社員も80%のうちで受けなかった社員も必ず受けるので受けた社員も、全員が同じように得をします。経験的には80%の社員は費用負担なしで就業時間内に職場で集団接種すれば9割以上が受けます。

組織学習.p192について集合体自体が学習することをおかしなことだと思うだろうとありますが、組織についての介入を考慮する際には集合体を一つの有機体と考えなければはじまりません。あとで出てくる残業麻痺の先にある真の残業麻痺、諦念による思考停止の前に残業という理不尽なストレスを打破しようと立ち向かっているのはちょうど集団免疫のない組織でも自分でワクチンを打った従業員のようなものです。残業の伝染という表現も出てきますが、感染症を防ぐには細胞レベルの免疫強化では意味がないのと同様、組織の疾病を予防するには組織の集団免疫が必要です。また免疫力の弱い個体に起こった局所感染が全身に広がり敗血症になって本体の命を揺るがすように、組織としての免疫力が弱い企業は人体であれば細胞レベルの従業員個人や臓器レベルの部署などのディストレスによって容易に敗血症になりえます。

人との関わりが多い職種に残業が生まれやすい.p89

構造的に、しかも人という循環し続ける有機的構成物からなる柔軟で不安定な文脈が残業を生み出すという仮説を裏付けるような結果がサービス残業をする労働者の所属する業種データから導かれました。
これはいつも指摘している医療への聖域視やタブー感とも密接に関連しています。

サービス残業のサムネイル画像

医療や教育の分野でサービス残業が多いのは、「人の命やこどもの教育は法律なんかよりずっと大事だよね、医療者や教育者は聖職だからお金と絡めて考えるのは下品だよね」的な世間の無言のプレッシャーによるものだと断言したいです。

対象が有機的であればあるほど突発的な業務は増えます。主治医とか学級担任教諭とかがその対応に当たることでなんらかの成績が好転するというエビデンスはありません。突発的な問題で呼び出されても実際にやれることはないことも多いです。医者や教諭にはほかの患者や生徒もいます。

後半で組織要因としての「帰りにくい雰囲気」.p169が出てきますが、医療や教育についてはその雰囲気の多くを「世間」がつくっています。より大きな圧力が外部からかかることで帰りにくい雰囲気の濃度は医療や教育の現場で異様に高まります。

より「勤勉」であるよう、国民を啓発.p96するためにさかのぼって再発見されたと取り上げられる二宮尊徳は、「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」と言っています。医療や教育をひとつの見込みある有益な産業として理解し、労務対償的にその労働に報い、労働者として通常の労働者同様に扱わない限り、それこそ日本に希望が持てません。
確かに道徳なき医療や教育は許されませんが、経済なき医療や教育による弊害は医療や教育の担い手のみならず、未来の国民全体に影響を与えることを意識して見直していきたいものです。

ーー残業麻痺ーー残業に「幸福」を感じる人たち.p101

先にも書いたように長時間労働が絶対悪であるという扇情は無意味どころか有害であると危惧します。麻痺と幸福の対比で残業ありという絶対悪と残業なしという絶対善の二律背反のように書くのはやや誘導的です。
依存性薬物と残業は似て非なるものです。また麻痺には知覚麻痺と運動麻痺があります。

残業麻痺

「残業は個人に何をもたらすのか」という観点から、残業を是正するべき理由について深掘りします。.p102となると、どんどん魔女狩り的になってきます。そもそも残業が、組織の構造なり文脈なりから、組織の構成部分である従業員に生じるものなので、いかなる環境(構造・文脈)が個人に残業をもたらすのかを考えるのならまだしも、残業が個人にとってどう悪いか(あるいは好いか)を論じるのは不要です。一企業が一労働者に与える残業が発生しないようにすることが唯一最大の目的で、残業の個人単位の影響を論じると残業で悪影響を受けない人や好影響を受ける人はたくさんいるので、むしろブレてしまいます。

あくまでも文脈から生まれるモノなので、卵が先か鶏が先かを躍起になって議論しても仕方ないのですが、長時間の残業によって、「振り返りの原理」「つながりの原理」が機能しなくなる.p129と考えるよりは、ソーシャルサポートやフィードバックが足りない(仕事が下手だ)から能率が悪くて長時間労働に至ると考えたほうが好さそうです。

1776年出版の国富論に触れ、労働が「負の効用」.p120とするのは残念で、労働は人の役に立つ、社会における存在意義を見出す、生きがいをもたらす素晴らしいものです。もちろん超・長時間労働が依存症的に遷延してしまうことは実際に想像ができます。労働衛生が向上したとはいっても、現在も重症の長時間労働に苦しむ労働者や組織はまだまだ残存していることには異論はありません。なんで気付かないの?というほど腫瘍でおなかがパンパンに膨れていても病院に来ない人と同じで、病識がない相手に治療のエビデンスがためをしても無効です。病識がない企業は、この本を手に取らないでしょうから、最重症患社相手には、定義→同定→ハイリスクアプローチの手順ではどうにかできそうにありません。

「努力」を「成長」と結びつける日本人.p131

201914211045.jpgイマドキ本当に、努力をしていないのに成果を上げる人が評価されず、成果を出せないのに努力(長時間労働?)する人が評価される職場なんてあるのでしょうか。確かに年功序列型の昇給というのは、成果ではなく、これまでに労働した時間で評価しているとも言えるけれど、さすがにプロセスを問うことの愚は、ある程度、浸透しているのではないでしょうか。と書きながらも、患社さんたちの具体的な顔がたくさん浮かぶのですが・・・・・・

偶然ではなく再現性のある、属人的ではなく一般化されたプロセスが望ましいことはもちろんですが、プロセスを評価するのは非常に難しく、その評価スキルがある程度職人技になるので、実装しにくいものです。

残業ハイはあとでハイから降下するとき、その状態の大きな変化というストレスにより有害事象が発生する危険は大いにあるものの、医師としては、幸福感を感じるほどの一種の残業ハイの状態より、感情喪失・無感覚(知覚麻痺)になって無機能・無力化(運動麻痺)している文字通りの残業麻痺のほうが心配です。
従業員との面談でもなんとか打開策を見出そうとアンテナを張っているうちはいいのですが、それに企業側が甘えて対策を怠って放置すると、いつか諦めて残業を回避するための努力ができなくなるどころか、そのうち残業についての懐疑的な気持ちを抱く余力すらなくなって、ともかく省エネで何も感じず、何も努力せず、惰性で残業をし続ける状態になってきます。このとき慌ててヘルプを送り込んでもすでに引き継ぎさえできない状態です。企業によっては従業員のほとんどがこのレベルにいたり、膠着しています。
残業ハイを感じているときは残業の鬱積の初期段階でペナンブラのような状態ですから、そこで休養を与えた上で適正な労働時間に戻してもまだ、急激な降下というストレスにも耐えられます。だからこそ残業ハイという目立った現象が観察されたときこそ、組織が大きく舵を切って大胆な組織レベルの介入を行なうべきです。本当の残業麻痺が起きて周囲を次々に浸食し、膠着し、拘縮してしまうと対応はさらに複雑を極めます。

チェックリスト

.p140の残業チェックリストの10項目には本書の中で最も賛同できません。どれもワークエンゲージメントにつながる素晴らしい項目ばかりで、3個以上で平均を超えるので要注意という根拠がまるでありません。大反対です。

女性と異なり男性は残業がなければテレビを見るだけ.p144なのは予想通りで、女性活躍推進とか性別格差是正とか家事・育児・介護と就業の両立とかと残業対策をごっちゃにしすぎるとどんどん逆効果になりかねません。

残業は、「集中」し、「感染」し、「遺伝」する

麻痺、感染、遺伝、手術、漢方など医学的な用語が出てきますが、最近ビジネス本でこのような比喩がよく用いられるようです。専門家である私はむしろわからなくなってしまうことも多いのですが、世の中の人々が医療にイメージするものが透けて見えるのはおもしろいですね。
本書中に感染や遺伝と表現されていることは分けることはないのかなと思いますが、時間軸をイメージしているからそうなるのでしょう。この辺もコラムで何度も話題にしている、社会疫学の得意分野ですね。

実際に現場ではまだまだ無数の「いやいや」残業している人々が存在します。
概ね残業の理由であるやめればいい仕事をおもてなしで受けて仕事ができる人に振ることの繰り返しで、どんどん仕事ができる人をつぶしていきます。.p269 従業員をつぶすことが本体の健康を揺るがすことを理解できないのが先か、優先順位がつけられないのが先かは不明ですが、多くの企業は法令違反や従業員の身体以上に心理社会的な文脈的健康の総崩れで会社が死の淵をさまよえば、100%提供したい理想のおもてなしが、ゼロになるどころか、クライアントの足を風評被害で引っ張るマイナス効果を及ぼします。
勇気を出して受注のダイエットをするだけで組織の健康体が維持できるのに、「ごはん食べてないのに太る」と愚痴りながらお菓子や甘い飲み物をボリボリゴクゴク食べている姿に似て、あさましくさえ見えます。
研修医に麻酔を教えるとき、「ともかくかっこよければうまくいく」と指導します。経営も同じでしょう。
かっこよく、スタイリッシュに、余裕綽々に見えるよう実践すれば、従業員もクライアントも集まります。

仕事ができる人に仕事が集中するのは当然で、必ずしもネガティブなことばかりではありません。本章で目を疑ったのが「残業代を稼ぎたい人」というネガティブなイメージ.p160という記載で、金銭的な報酬を労働の動機にすることがモラルに反するように書かれている部分です。この姿勢は後半の残業代の還元の部分.p198 & 249でも登場するのですが、報酬は仕事において非常に重要な問題です。日本人のクセとしては勤勉よりも、立派そうなものと下品っぽいものの二律背反で何かを論じる偏見のほうが国民性として際立っているようです。

.p162のグラフもあてはまる人の割合を比較して何倍と表現していますが、それぞれの個人がどれくらい感じているかもわからないので、それを単純に比較してしまうのはさすがに乱暴です。世の中のほとんどのことが二律背反で答えが分類できるようなものではありません。帰りにくい雰囲気があるというほわっとしたものをありとなしの割合で比べるのはさすがに文系過ぎるような・・・
また.p168の専門性の高い仕事と成果の見えやすい仕事では正反対の理由で集中が起こりやすいと推測しています。
結果、「成果の明確化」よりも「役割と責任の明確化」が残業を抑制しそう.p169としていますが、やや短絡です。それでは1972年の安衛法と解決策がかぶります。

残業代がゼロでも生活できますか?.p179

この章でやっと、でもここだけ、カーネマン先生のプロスペクト理論.p178が登場します。
組織介入による組織アウトカムを語るときは行動経済学は不可避と考えるので、もっともっと多用してほしかったです。

組織の生産性を根本から高める.p253

図表8-4.p263は普段私がよく用いる医学的健康と生産性(ユーダイモニア的ウェルビーイング)の関係によく似ています。つまり労働時間と組織の生産性というファクターがあって、組織の生産性を高めるためには組織の総労働時間を増やせばよいという仮説を立てたんだけれども、そもそもその当時の組織の生産性を成果(量)/時間という単位で測定していたことからも明らかなように、この二つのファクターはなんの関係もないかむしろ負の相関を持つ2変量であったことがわかります。

the phillips curve may be broken for goodちょうどいい図があったので参考にしますが、ひょっとしたらこの2変量に正の関係、すなわち労働時間を増やせば組織の生産性が向上するという関係が存在した時代もあったのかもしれません。しかしコアインフレ率と失業率同様にすでに永久に関係が破綻しているだけでなく、最近の知見では少なくとも個人レベルにおいては労働時間を短縮するほど単位時間当たりの生産性は増えることがあきらかになっており、1日の労働時間が短縮しても生産性が増えたという結果も多く観察されています。

つまり組織も従業員も動き続ける有機体である以上、その関係性は瞬間瞬間かたちを変えているのだから、その関係性から生まれる残業について語るときにはまさに組織開発的今ここのガチ対話でその関係性を見える化していかなければなりません。

「職場業務のダイエット」.p267は言い得て妙です、ダイエットが単純な食習慣という意味ではなく、肥満者の減量という意味ならば。
運動しているのにやせないと首をひねる肥満者は多いですが、運動(消費)だけでやせるのはかなりたいへんです。
本気の減量には摂食制限しか方法がありません。食べれば太る、食べなければやせる、シンプルです。
生産性の向上もやはりコスト削減しかないのです。現在肥満なら、現在までに明らかに必要以上の量を摂ってきたのだから、やせるためにはムリをして摂取制限をするしかありません。

会議のムダ

前述のおもてなし受注もそうですし、会議だけでも何百時間も無駄にしています。.p303
カットできる無駄なコストはやまほどあるのです。
その点で「やめる会議」.p289は素晴らしいです。どんどん開催したい!健康経営の視点でも改革ゾンビ、プロジェクトゾンビ、会議ゾンビ、委員会ゾンビ・・・・・・会社はゾンビだらけです。麻酔科医にとって終わらない手術はありません。よくわからないから、難しいから、終わらせないままで放置とか自然消滅とかはありえません。ビジネスの世界に来て驚いたのは終わらないままにさまようゾンビの多さです。まさにホラー体験です。

今こそ、WORKの定義やLIFEの定義を変えるのはもちろん、時代に合わない形骸化したゾンビたちの一斉駆除を国ぐるみで行なうときが来たのです。.p318
平成が終わる今こそがチャンス.p321というのはいい「あおり」だと思います。
特に意味はないんだけど、勢いがつきそう(笑)
こういうのはエビデンスなんかなくたっていい部分です。

今の時代に沿った制度設計、残業対策をスタイリッシュに進めていきたいものです。

 

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