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書籍 演劇 セミナー

社会でよりよく生きるために

学校の「当たり前」をやめた。

生徒も教師も変わる!

公立名門中学校長の改革

学校の あたりまえ さらば

「みんな仲良く」と教室に掲げても、
子どもたちは仲良くなりません。
他社意識のない作文、目的意識のない行事
すべて、やめませんか。

FB友達の誰かが、そでの写真を特にコメントなしで投稿していて、そのままタイプして検索、この本に辿り着くことができました。

書籍の一文は明確に記憶しているけれど、題名や筆者名は想い出せないことがよくあります。どこかで見たもの、誰かが言っていたこと、覚えている一部分を検索すると見つかる今の世の中は、本当に便利だな~と思います。

写真のように画像で記憶することの多い私は、大切なことと些末なことを記憶上、分別することがひどく苦手で、メモも暗記もできません。特に小学校、中学校の先生には「このIQでは、いずれ人を殺すから尼寺に入れろ」などとひどいことを言われ、親がよく泣いていました。

この本は教育の本というより、まさしく健康経営の本です。

そもそも、この世に教育、経営、医療などさまざまな言葉があるけれども、みーんなこの本に何度も何度も書かれているように、目的はシンプル。

『社会でよりよく生きる』

たったひとつだけです。

今年最初のコラムで紹介した残業学では『御触書モデル』と表現されている「みんな仲良く」の掲示。前述の私を未来の殺人犯呼ばわりした中学校教諭は「簡素の美」と掲げていましたが、中学生にその掲示で何を啓発したかったのか、今もって彼の深淵すぎる教育哲学は理解できません。

■第6講 働き方改革は、なぜ「効かない」のか?
 企業の「働き方改革」は本当に効果が出ているのか? 
 残業施策の失敗による職場のブラック化への道
 段階1 残業のブラックボックス化
 段階2 組織コンディションの悪化
 段階3 施策の形骸化
 施策失敗の「3つの落とし穴」
 原因1 「施策のコピペ」の落とし穴
 原因2 「鶴の一声」の落とし穴
 原因3 「御触書モデル」の落とし穴
 第6講のまとめ

残業学では働き方改革がなぜ効かないのかを上記のような構成で解説するのですが、工藤先生の本にもこのすべてのからくりと解決策が書かれています。

工藤先生はたいへんなカリスマだけれども「鶴の一声」でやっていないというところも人が着いてくる魅力でしょう。

また、年末のコラムで紹介した北原先生とも通じる姿勢が多いです。一言で言えば当事者意識。
北原先生はスーパーマーケットを例にとって、賞味期限切れの材料でお総菜をつくるような不正は売るのも買うのもつくるのも自分だったらありえないことだと言いますが、工藤先生の生徒、親(家族)、教師、地域住民など学校を取り巻く全員が学校の当事者となってはじめて、学校が変わると主張します。

これはまさに健康経営にも言えることで、「社長の鶴の一声」も「御触書」も「成功事例に学ぶこと」もやりようによっては効果を示しますが、自分事、他人事に温度差があってはまずむりです。
私たちは一人の人間であって、かつ社会の一員である。
1人の人間として社会でよりよく生きるためにコミュニティーを変える。
健康経営にはそれが必要で、工藤先生のしていることは教育改革というより、まさしく麹町中学校という一組織の健康経営です。

社会でよりよく生きるための自律

まえがきの「はじめに」から企業における健康経営そのものです。

「目的と手段を取り違えない」

「上位目標を忘れない」

「自律のための教育を大切にする」

この本には、「そんなことやっていいんですか?」という表現がたくさん出てきます。私もしょっちゅう浴びる言葉です。

「そんなことやっていいんですか?」

健康経営を指南する経営者ばかりでなく、患者さんにもよく問われます。

健康経営も医療も教育と同じ目的しかありません。

がっこうのあたりまえをやめる

社会でよりよく生きる方向に進むのなら、やってはいけないことなんてありません。

そもそも「やっていい」と決めるのは誰なのでしょう??? 
誰に尋ねているのでしょう??
たとえば、「やったらまずい」と自分の良心が感じていることなのに、医者や教師が「やっていい」と言えばやるのでしょうか。
工藤先生の語るように、なにもかも教師や親が決める、許可する、禁じる・・・そんな教育を経て、何か壁にぶつかると、「会社が悪い」「国が悪い」と誰かのせいにしてしまうのでしょう。

「そんなことやっていんですか?」

工藤先生もきっと毎日のように尋ねられるし、私もそうですが、一度も尋ねられたことのない人もいるでしょう。
また、一度も尋ねたことのない人もいるでしょう。

もちろん、私たちは法の下に暮らしていますから、法を知る前提も必要です。
はじめにも書きましたが、今や、ちょっと気になることは検索すれば根拠となる法にもスマホで簡単に当たれる素晴らしい時代です。
30年前なら、こういうことに関連する法令がありそうだな、と感じても法体系を一切知らずに到達するのは、だいぶ難しかったでしょう。

国が示す学習指導要領は大網的基準にすぎないそうですが、私もなんとなく「絶対的基準」なのだと思い込んでいました。取り巻く大人たちがそのように信じていることで、自分で考えずに釣られていました。

「その実、学習指導要領を読み込んでいるわけでもなく、教科書に従って授業をしている教員が大半のように感じます。」

実は産業医の世界も同じで、労働安全衛生法すら目を通していないのに、斡旋業者のルールに従ってまさに手段を目的化させてしまっています。一方で従業員たちは、産業衛生に詳しい専門家として産業医を捉えながらも、自らの眼で評価しようとはしません。

授業をやってりゃいいという教師と、受けてりゃいいという生徒、医療をやってりゃいいという医師と受けてりゃいいという患者、委員会をやってりゃいいという産業医と受けてりゃいいという従業員、この人たちは全員自律することなく、社会でよりよく生きることもできないでしょう。誰が悪いわけでもない。全員同罪です。

ここで、医者のくせに教師のくせにという思考停止が起こることが問題の所在で、まあ、所在のわかっている問題は解決できるので必ずしも嘆くことはありません。

教師と医師の過重労働についても残業学のコラムでふれましたが、職業の特別扱いのようなことにされるほうもするほうも酔っている部分があるのも否めません。
だからこそ、残業規制についても他のすべての業種や一部の医師が960時間という上限なのにもかかわらず、1,900~2,000時間という倍以上の数値が出てくる異常さが受け入れられてしまうのでしょう。
多くの業種では健康障害が生じるレベルの重労働をしていても、命を預かるのにふさわしいパフォーマンスをできる素晴らしき立派なお医者さまに、眠気や不調と闘いながら診察してもらいたいのでしょう。変わってますね。私はイヤです。

社会でよりよく生きるためのアイデアがそのままでは法にもとる場合には、多くの場合、次の手があります。
創造力はそんなときにこそ発揮されるべきでしょう。
コロンブスのタマゴのようにとんちを活かして、奇を衒わなくても手持ちの材料でコストをかけずにできる方法は必ずあります。

大半は法令ではなく慣例という思考停止が改革を阻んでいます。
誰もやっていないのは当然です。だって今の社会を生きる私たちがこれからの社会でよく生きるためのアイデアなんだから。

というわけで前のめりがすごすぎて「はじめに」だけでこのボリュームになってしまいました。

ともかく素晴らしく一言一句意味のある最高の健康経営の教科書ですので、多くの経営者に読んでいただきたいです。

慣例による思考停止という前提の病は、大人にひどくはびこっているモノなので、本書における成功事例のスピードでは、社内では展開しないでしょう。

「こんなことやっていいんですか?」は多くの場合、大人からの質問で、こどもはもっと柔軟です。

でも、どんな大人もこどもを通って大人になっているのですから、それこそ自分磨きで磨いていけば、素直でピュアでしっかり自律した芯があらわれます。

社会でよりよく生きるための自律、自由と責任こそ、シンプルだけど本質的なことだと背中を押されたようで勇気が出ました。

まだまだ「医者のくせに」とか「そんなことやっていいんですか?」とか「他の企業の前例は?」とか本質と離れた、質問のかたちをした拒絶を浴びる日々ですが、工藤先生だってがんばってる!と前向きに走ります!!

2019年を健康経営元年にしたい企業からのお問い合わせをお待ちしております!!!

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