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生命の意味論

スーパーシステムとは何か

1997年に出版されたこの本を手に取ったのはおもしろいご縁で、Facebookでミジンコの死の動画をシェアした友人の投稿に「こどもの頃、ケンミジンコ踊りを踊って、今はシステミックアプローチで健康経営をしています」とコメントしたら、友人の友人である都市工学の先生からご質問を受けて、他人のコメント欄でやりとりしているうちにご紹介いただいたのです。

私は企業をひとつの生命体に模して健康経営を行なうのですが、どうやらその先生は都市をひとつの生命体と観ているようで、その視点はこの書籍がきっかけだったということです。

都市に関する記述は全10章の最後の章に「スーパーシステムとしての都市」という1段落として存在していました。
時代もあるのでしょうが、多田先生と現代の社会疫学の知見を並べながら、スーパーシステムとしての社会について、話ができたら、楽しかったろうなあ、と思ってしまいました。

ご近所にお住まいだったようなので、ご存命のうちにお話ししたかったなあ。

読んでみるとたいへんおもしろく、生物の「美しさ」と「不気味さ」という私も注目する部分に焦点を当てられ、発刊年を考慮すれば仕方ないのですが、やや古い、グロテスクな実研究を並べながら、解説します。

生命の意味

多田先生の生命体、その中で「人間の免疫」というシステムへの激しい愛を感じるのは、工藤先生の言葉を借りると、手段が目的化してしまったとも言えるやれるだけやってみた系の進化によって、予測は不可能になった分、ある意味、プログラムの遊びのような期待が生まれたように記されているところです。

脳の可塑性のような未来に向けて人間本体そのものも、そしてそれを構成する細胞の単位でさえ、なんにでもなれるんだという、これはかなり夢膨らむ生命の意味です。

工藤先生と全然異なることを言っているようで共通すると感じるのは、やはり生命の意味は社会との間、コンテクストにあるという意識を持っていらっしゃるように思えるからです。

私たち医者にとって、ましてや多田先生の時代の基礎の医学者にとって「コンテクストにある」という言いぐさはかなり乱暴で卑怯でとても医学とはみなされないものであるのですが、そもそも美しくて不気味なモノなんてコンテクストにしか存在できないような気がします。

ちょうど手元に届いたノビテクマガジンに、以前のコラム「ダマシダマシ生きる」で触れた石黒浩先生のインタビューがありました。

「生きる目的は、人間を知ること。そして人間とかかわること。それ以外ない」

少し話が逸れますが、同じ記事の中で石黒先生は
「ボクが目指しているのは人のパートナーとしてうまく関係を作れるアンドロイド」とお話しされていました。
これもつい先日、『ロボットによる介護を8割が肯定』という記事から、「高齢者はどのような『ロボット』を想像しているのだろう?」という疑問を投げかけているFacebookの友人がいて、私は「その問いに意味があるのか?」と喧嘩を売ったんですね。
実際に作り手の立場としてプロダクトマーケットフィットを無視したゾンビを作り出したくないという意図だったようなのですが、たとえば、今、お尻を拭いてくれるロボットの最適解はウォシュレットのような気がするし、落合陽一さんが言うように、今更ウォシュレットのない生活も、人間にトイレでお尻を拭いてもらう生活も、人型ロボットに拭いてもらう生活も考えられません(落合さんの名誉のために、落合さんはそうは言ってません)。とはいえ、100年前にお尻をロボットに拭いてもらうと仮定してどんな形が理想?って問われても、なんらか答えられる人は皆無だったのではないでしょうか。

多田先生の注目する細胞レベルの可塑性は消費者が想像する最適なロボットの形とひとつの解としての全く新しく発明されたロボットの形にはむしろ乖離があるのが当然で、その乖離を超えてそれを便利と思ったり、パートナーと思ったりすることができるために存在しているのではないかと考えてしまったのです。だから、免疫を鍛える、ユーダイモニア的ウェルビーイングを高める、生産性を上げる、楽して儲ける、そういうことはすべて非常に本質的で、そしてその本質は無限に高みを目指すことができる、なぜならその細胞が何になるかを決めるのは未来の細胞自身だから、的なことなんじゃないかな、と勝手に納得しています。

自然生命システム論的世界観で言えば、自己組織化に当たる部分です。

医学では人間は不死であるべき

この部分を読んで、先生は基礎のご研究をなさっていながら、なぜこうまで臨床医の心理を言語化できるのかと感服してしまいました。

そうなんです。医師はどうやら、健康とか死とか人生とかそんなものにも詳しいと期待されがちなのですが、医学において死は存在することを認めてはならない幻想であり、最後まで忌避すべき状態なのです。

私が公衆衛生や産業保健、ビジネスの世界に足を踏み入れた理由もまさにそこで、思いがけず出逢ったこの本に多くの示唆をいただきました。
 

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