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健康経営とポピュレーションアプローチ(1)2020年バージョン

集団の健康を向上するため、環境を良い方向に持っていくための学問が公衆衛生学

今年になって新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、「公衆衛生」や「疫学」という言葉を耳にする機会が、どなたも増えたのではないでしょうか。

こういう時勢だからこそ、あらためて公衆衛生という概念を見つめ直し、健康経営とポピュレーションアプローチへの誤解を払拭して、心陽にできる公衆衛生(社会不衛生予防、社会の元気の向上)策を提案したい、と思いまして、2018年3月に3回シリーズでお送りした健康経営とポピュレーションアプローチを加筆修正してお届けします。

もちろん、元コラムも閲覧できますので、第一回(間違いだらけの健康経営からハーバード流ヘルシーカンパニー経営へ)をぜひご参照下さい。

なんとなくこれまでぐだぐだと容認されてきている一部の健康経営とポピュレーションアプローチの理解のどこが変なのか、よくある説明から紐解いてみましょう。もちろん私も以下にご紹介する「予防医学のストラテジー―生活習慣病対策と健康増進」を読み、公衆衛生学を学ぶまでは、臨床経験が20年間あっても、全く知らなかった概念です。

おそらく非医療者の皆さんにあまりなじまないのは、臨床家は公衆衛生を知らないという絶対的事実。無知や不勉強だから知らないのではなく、独立した別の学問だから知りませんし、概念的にはかなり異なるアプローチです。それぞれがそれぞれを知らないほうが、雑音なくエキスパートとしてそれぞの専門分野に専念、精通できるものです。

臨床医療と公衆衛生はまったく独立した概念だという前提をまず、共有しましょう。

人を見るか集団を見るかが医療と公衆衛生の違いです。

カラフルメンバー

人と集団(社会)は何が異なるでしょう。

上の図は大きな集団、仮に会社としましょう、その会社を外側の円として、従業員を内側のさまざまな色の円として表現した図です。人は多様で、これを同じ色に塗ってしまったら、まったく面白みがありません。この多様なメンバーを活かす環境をつくって、みんなの健康を向上していくのが公衆衛生です。
人についてはどの部分を指すかわかると思いますが、ここから人の部分を引くと、外側には人と人との関係や人と会社との心理社会的環境と温度や湿度、照度などの物理的な環境が残ることがわかるでしょう。(下の図)
物理的な環境については多少専門的な理解や技術が必要な場合がありますが、心理社会的な環境を整えることは誰もができることでしょう。自分にとって快適で、同時に周囲にとっても快適な環境、そういう色に大きな円の内側を染めることによって、私達は心理社会的に安心し、より心身社会的な健康を獲得できます。
「ティール組織」が流行りましたが、ティールは青緑色で、書籍の中には他のタイプの組織も色んな色に例えられています。まさに組織の色がメンバーの個人的な生命活動や心理社会的な関係性に大いに関わるのです。
 

社会引くメンバー

たまたまかなり限定的な周術期臨床【個人への介入】と公衆衛生(特に産業保健)【集団への介入】のどちらも経験した医師として、今回の混乱的報道の原因は、社会(集団)が暴露している新型コロナウイルスの流行という現象(心理社会的環境変化)と個人における新型コロナウイルス感染(疾病)への治療(個人的な介入)の混同があると思います。
 
もともと日本の健康管理は、医療を中心とする個人に対する個人への影響や介入を個人レベルで効果測定するのが得意な一方で、社会(集団)的な変化(介入・環境)に対する集団や個人への影響を個人への介入への集積と混同してしまう傾向があると感じています。とはいえもっと古くから日本の誇る絆の文化は集団の影響が個人レベルの健康におおいに関与することを示唆するものです。
 
私自身は、人体も組織も同じ自律分散構造だからこそ共通して向上のための介入ができる部分が多く、医師だからって企業の何がわかると経営者に言われることもありますが、正常生理や解剖を知る医師だからこそできる組織へのサポートがあると考えています。実際に行動する、治癒する主語は患者本人、組織自体なので、医療やコンサルにできることは知識や経験、技術を生かした自立的な行動へのサポートなのです。
 
集団における集団免疫と個人における免疫システムは全く異なる概念ですが、疑いを含めた感染に至った場合には医療的介入の出番を検討するべきですし、そこに限定的な専門性の高いリソースを集約しなければなりませんが、私達は日々、集団の構成因子として行動変容することが大切で、そこに難しい医療知識や技術はいりません。
いわば私達が行動変容を通して社会に対して各自が自律的に集団の構成要素として行おうとしているのは公衆衛生=公衆不衛生の予防であり、社会的処方、社会的ワクチン、社会的健康行動と呼ぶべきものです。そしてこれらの治療には当然、医師免許も看護師免許も不要、誰でもできるのです。
 
医療は正常生理や解剖、すなわち人体の仕組みについての基礎的な知識を有した上で、まずは生命の恒常性の維持(死なないこと)を第一目的に、介入の必要な正常からの逸脱を正常に近づけようとするもので、そこには特別な知識や技術、経験、資格などが必要です。誰もがやってしまうとえらいことになっちゃいます。ただし、この人体の仕組みと、いわゆる「健康」とは全く別の概念であって、健康は「みんなちがってみんないい」んです。

ハイリスク戦略とポピュレーションアプローチ

医療は人、公衆衛生はその周りの環境、人と人との繋がり、社会を対象にするものだと説明しましたが、次にハイリスク戦略とポピュレーションアプローチを見ていきましょう。

例えばこちらは「日本の人事部」による健康経営辞典の説明です。こういったサイトから拾ってきた内容を社内で展開して健康経営理解を進めていってしまう企業が多いようですね。

「ハイリスクアプローチ」と「ポピュレーションアプローチ」は、健康管理の領域で用いられる手法です。ハイリスクアプローチは、健康リスクを抱えた人をスクリーニングし、該当者に行動変容をうながすこと。ポピュレーションアプローチは、リスクの有無にかかわらず、集団に対して同一の環境整備などを指導することをいいます。例えば、健康診断で血圧や血糖値の高かった人を対象に健康指導を行うことがハイリスクアプローチ。健康増進を目的に、会社全体でスポーツ大会を行うことはポピュレーションアプローチに該当します。
 
心陽なりに言い換えると、「ハイリスク戦略」と「ポピュレーションアプローチ」は公衆衛生上の介入のスタイルを示しています。ハイリスク戦略は何らかの基準を設けた上で集団内の対象者を選別して特定のメンバーに介入する方法で、ポピュレーションアプローチは集団全体、メンバー全員に対して介入する方法です。会社全体に呼びかけてスポーツ大会を行っても参加者が健康意識の高い従業員や運動が好きな従業員だけだった場合、ポピュレーションアプローチと表現するかどうかは微妙です。一方で全社ではなく会社の一部署の全従業員で「サンクス・カード制度」を導入した場合、これが全社に波及してもしなくてもポピュレーションアプローチです。一部署という特定の集団内に含まれるメンバー全員をスクリーニングプロセスを経ずに等しく巻き込んでいるからです。

福利厚生という表現も健康経営と混同されやすいものですが、ポピュレーションアプローチではなくても、全社員に声がけするスポーツ大会の運営費用を福利厚生費とするのは問題ありません。一方でBMI30以上の社員にのみ万歩計を配るようなハイリスク戦略に用いる費用は現物支給の給与として処理する必要があります。全員に配るとアナウンスして不要な従業員に拒否権を与える場合は福利厚生費にしてもよいでしょう。

2020424175458.pngハイリスク戦略にはハイリスク者をふりわけるためのスクリーニングが必要です。みかん箱の中のみかんを全部チェックして、腐っているみかんと腐っていないみかんに分けて、腐っているみかんを廃棄して残りを出荷するのはハイリスク戦略ですね。腐っているかどうかをスクリーニングするプロセスが必要です。

でも、みかんの価値を決める要因は本来かなり多様なわけで、腐っているかどうかだけでみかんを判断してしまうという危険性があります。
またスクリーニングプロセスに割くリソースが必要です。そしていかなるスクリーニングプロセスも完全ではありません。

健康リスクを抱えた人をスクリーニングするのは簡単そうに見えて、なかなか難しいものですし、健康リスクは人的資本として人体の内側に抱えているものの他、心理社会的な環境、つまり周囲の人や環境との関係性にも左右されることがわかっています。

SDH(健康の社会決定要因)という表現が一般的ですが、現代社会に生きる私達は社会的な環境の影響を受けます。現在の感染症の流行もこれだけ世界の人々が行き交う暮らしではなかったら局所的にとどまったかもしれませんし、それこそ誰とも接触しない生活なら感染することはありません。

たとえば新型コロナウイルスに感染することで肺炎になるという事象では、新型コロナウイルスに感染している人をスクリーニングして肺炎にならないようにするのがハイリスク戦略で、肺炎になってしまった人を治療するのは疾病の治療、すなわち医療です。図の頂点に当たる部分ですね。
皆さんも随分、PCR検査の偽陰性(本当は感染しているのに、検査の結果では感染していないと出てしまうこと)について詳しくなったと思います。つまり、どんなに高度なスクリーニングでも本来介入するべき人を取りこぼしてしまう可能性と、介入しなくてもいい人を誤って取り込んでしまう可能性を必ず孕んでいます。毎日の検温をルール化している施設は多いですが、たとえば腋窩体温計の感度は42%ですから、発熱している100人中、58人が「発熱していない」と評価されてしまうリスクがあります。

集団免疫一方で現在、世界中で進められている Social Dintancing(社会的距離の確保)や、手指衛生に努めること、粘膜、特に顔を手指で触らないように気をつけること、マスクの着用などは、感染することやさせることを予防でき、すでに感染している人が実践してもなんらまずいことはありません。これらの社会的対策はスクリーニングを経るものではなく、まさにポピュレーションアプローチで行うことです。こちらの動画ではこのような社会的な対策を社会的ワクチンと呼んでいて、私はこの表現がすごく腹落ちしました。

集団免疫という表現も皆様、馴染みが出てきたかと思いますし、前段でも触れましたが、免疫学上の効力を発揮する医学的な集団免疫だけでなく、心理社会的な集団免疫的効果が存在することが科学的にさまざまな場面で明らかになっていて、セミナーでは必ずそのお話をします。自らが自らを守る姿勢が社会全体を守ることになるこの考え方は社会を生きる私達に今、まさに必要な感覚です。

日本の健康管理は、特定有害物質やハザードの特定及び回避と責任体制の明確化で労災をどんどん減らした安衛法を手本にしているからか、ハイリスク戦略が大好きで、私達はそれに慣らされているところがあり、今も精度のわからない検査を求める傾向が強く、その需要に乗っかって怪しい検査キットが販売されてしまいます。検査の感度や特異度の検証はプロの検体採取によって行われるので、検体採取の手技に差が出る咽頭ぬぐい液のような検体で行う正当な検査を素人が用いるだけで評価は修飾されます。

わざわざハイリスク戦略を選択するからにはそこにスクリーニングプロセスを経てでも抽出したい課題があり、その解決はポピュレーションアプローチではかなわない、現実的ではない内容を盛り込むのが望ましいでしょう。
たとえば健診結果によって血圧の高い人を選んで減塩ダイエットを、残りの人から高BMIの人を選んで低糖質ダイエットを指導するような計画はあまり賢い方法ではなく、誰にとっても望ましい塩分や糖質に関する正しいダイエットを全員に共有するほうが、将来に渡ってその知識は本人だけでなく家族や周囲の人々にとっても財産になるでしょう。私が監修した一般的な低糖質と減塩のダイエット記事はこちらです。低糖質.pdf 減塩.pdf

Geoffrey Rose  Rose's Strategy of Preventive Medicine

予防医学のストラテジー

ポピュレーションアプローチの理解のためにはまず、ジェフリー・ローズ先生の予防医療の歴史的名著について触れなければなりません。
社会医学のバイブルとも言えるこの名著は邦語訳され、その訳文も平易でワクワクする素晴らしいものです。非医療者でも読みやすく予防医療のなんたるか、そして真の健康経営とは何かが腑に落ちるものですから、ぜひご一読下さい。
 
 
はい、この邦題こそ「健康経営そのもの」だと気付きましたか?
そうです、健康経営には土台となるいくつかの考え方、概念があり、ローズ先生の主張は職域に限ったことではないのですが、この考えを職域に適用すると同じ1992年のRobert. H Rosen先生によるHealthy Companyになります。
奇しくも両先生とも名前にROSEが。。。正しい健康経営の先にある、バラ色の職域が目に浮かぶようです。
 
今回の騒動で、公衆衛生おもしろそうだな、と思った方はぜひ、この本を読んでみてください。
 
日本疫学会によると、疫学とは、「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」と定義されます。
古い記録では下に示す1854年、ロンドンにおけるコレラ伝播様式の解明や、1950~60年代、イギリスでの追跡調査による喫煙と肺がんの因果関係の解明などへの貢献が挙げられます。
私の理解ではまず疫学が未知の事象の頻度と分布を明らかにすることで、そこに科学が投入されて医療となる順序が多いと理解しています。次回の血圧に関する疫学研究がわかりやすいでしょう。

John Snow  Pioneer Anaesthetist and Epidemiologist

図を見てわかるとおり、ちょうど次回触れるルーズベルトが亡くなった1945年を境に、世界の死因に大きな変化が見られます。

死因の推移

最も皮肉なのはその辺りでデータが飛んでいること、戦争の恐ろしさはこんなデータからも「途切れ」として垣間見ることができます。
 
これはひとつの疫学データです。
 
これでわかることは、世界の健康への脅威は結核や胃腸炎、肺炎という衛生要因による一元的な感染症から、心理社会的な要因が多元的に作用する悪性新生物と生活習慣病の果ての心血管疾患にシフトしていることがわかります。
感染症が解決できたから、感染症からsurviveする人が増え、これらの疾患を発症するまで元気でいるのも一因です。
感染症が解決できたのと同じ集団免疫の強化で、心理社会的な疾患も充分に解決する、それがすなわちポピュレーションアプローチですが、今回は別の切り口の説明を続けて行きましょう。心理社会的不健康リスクの集団免疫強化については、近いうちに公開しますので、楽しみにして下さい。
また、現在の健康脅威は感染症でも高血圧でもなく、孤独です。こちらの話題も健康経営に大いに関連しますので、いずれ触れましょう。

コレラ マップルーズベルトの死からさらに90年さかのぼる1854年、世界最初のビジネス麻酔科医でもある敬愛するジョン・スノー先生は、特定の井戸の周囲でコレラが発生していることに気付きます。
ローズ先生の「予防医学のストラテジー」にもごくごく最初にスノーの名前が登場します。
その井戸は近隣でちょっと評判の、おいしい水の出る井戸で、もっと近い井戸があるのに水を汲みに来る人もいました。そして彼らは同様に、彼らの地域では珍しく、コレラに罹患します。
スノー先生は「明確に規定された人間集団=特定の井戸の水を飲んでいる集団」の中で出現する「健康関連の事象=激しい水様性下痢による脱水症状」の頻度と分布を観察しました。

そう、スノーはフリーランス麻酔科医の父であると同時に疫学の父でもあるのですね。
 
「この井戸から水を飲むな!」と叫んだスノー先生は、完全に炎上し、ディスられまくります。
そりゃそうですよね、当時、まだ「感染症」という概念はなく、コレラの原因は行いが悪いからとか、目に見えない邪悪な空気のせいとか言われてましたが、井戸の水は美味しいから飲んでいるわけです。全員が関係ないと思っているというか、水とコレラを結びつけて考えるきっかけが普通の人にとっては何もありません。
ましてや美味しい井戸ですから、ますますイチャモンとしか思えません。
 
それでも正義のスノー先生はなんとか井戸の水を飲ませまいとして、くみ上げポンプの柄(え・ハンドル)を折ります!

かっこいい!!!
 
こういうところ、行動経済学の父と言ってもいいんじゃないでしょうか。めちゃくちゃ私のツボです。
で、また炎上・・・・・・麻酔科の父、疫学の父、ビジネス視点の医療の父であり、エリザベス女王の無痛分娩まで行ないながら、けっこうディスられまくり、炎上しまくりの人生でした。(そこもなんとなく共感)
 
スノー先生は「麻酔科医と疫学者のパイオニア」と紹介されることが多いのですが、まさに私にとっても父のような存在です。

経営者の鑑

ほどなく井戸の周囲で大流行していたコレラは鎮圧されますが、誰もスノー先生を褒めませんでした。あいかわらずの変人扱いです。
当時、コレラが蔓延するのはオカルト的大気汚染みたいなものが理由だと信じられていて、非道徳的な人の存在によって発生する毒気みたいなものが人々の体をむしばむのだと本気で考えられていて、それがゆえに魔女狩り的な発想につながっていました。
感染症という概念がこの世にないときに、毎日の生活の糧である水が原因だと疑うなんて、いくら鮮明な疫学データがあってもよほどの変態、もとい天才じゃないとできません。
 
病因としての感染とその対策の発見同様、病因(リスク)としての高血圧とその対策の発見は同様に、前提に疫学研究ありきなんですね。疫学データがあってはじめて疑うことができるのです。
 
スノー先生は特定の井戸、また特定の水道会社とコレラの関係から、原因不明に致死的脱水をもたらす下痢症候群の原因を飲み水だと見当をつけました。コロンブスのたまご同様、血圧もコレラも正解を知っている私たちには滑稽にさえ映る攻防ですが、現代、私たちが恩恵にあずかっている医療の背景にはたくさんのドラマがあったのですね。
 
ところで井戸の柄を折るスノー先生の行動、これってガチのポピュレーションアプローチです。
しかも非常に効率のよいポピュレーションアプローチで、介入は一点で済むのにその先の全集団に効果を及ぼせるかなり経済効果の高い介入方法ですね。
「なぜこの井戸の水を飲まないほうがいいのか」を説明して納得させる、なんていう方法を好む経営者が多いのですが、そんなことをくだくだやっている暇があれば、まさに経営者主導のポピュレーションアプローチとして、ハンドルを壊すような健康経営を実践してほしいものです。
 
今こそトップマネジメントがハンドルを折り、従業員を守るときです。
本当の健康経営とはなにかに向き合うよいきっかけですから、ぜひ企業内に社会的ワクチンを集団接種してください。
 
 
 

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